観光する前に知りたい!日本最大の禅寺「妙心寺」の歴史と見どころ

京都花園にある「妙心寺」をご存知ですか?ここは、日本最大の禅寺と言われ、厳しい戒律を守り、全国に3400の寺院を持つ臨済宗妙心寺派の大本山です。また、妙心寺の法堂の天井には、重要文化財にも指定されている「雲龍図」や日本で最の鐘と言われている「黄鐘調の鐘」の鐘など見どころが沢山あります。今回は、春はしだれ桜、秋は紅葉、四季折々の美しさと禅寺の荘厳な佇まいを兼ね備えた妙心寺の歴史と見どころ、楽しみ方などを紹介していきます。

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妙心寺について

妙心寺について

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妙心寺は、臨済宗妙心寺派大本山の寺院です。
山号は正法山(しょうぽうざん)と言います。
創建者は、鎌倉時代の第95代花園天皇(はなぞのてんのう)。
御本尊は釈迦如来。
妙心寺は、大変広くその敷地には46もの塔頭寺院(たっちゅうじいん)があります。
(塔頭とは、禅宗寺院などで祖師や門徒であった高僧の死後にその弟子たちが亡き師たちへ弔いのために建てた塔のこと。)また、妙心寺は、日本最大の禅寺としてだけでなく、法堂の天井画である雲竜図・ 日本最古の名梵鐘である黄鐘調の鐘・戦国武将明智光秀ゆかりの風呂である明智風呂などでも大変有名な寺院です。

妙心寺の創始

妙心寺の歴史は、鎌倉時代に遡ります。
この妙心寺の地は、平安京の北西部に位置しており、第95代花園天皇は、上皇となった際に離宮萩原殿、別名花園御所を構えました。
そして、1335年(建武2年)に花園上皇は、出家し法皇となり、この花園御所を禅寺としました。

花園上皇が師と仰いだのが、有名な大徳寺を開いた臨済宗の宗峰妙超(しゅうほう みょうちょう)でした。
大燈国師(だいとうこくし)という名前を聞いたことがある方もないでしょうか?同一人物です。
宗峰妙超は、1337年(建武4年)に亡くなりますが、その際に花園法皇が「宗峰妙超、師の亡き後に自分が誰を師と仰げばよいのか?」と尋ねたところ、宗峰妙超の弟子であった開山慧玄(かんざんえげん)を推挙したと言われています。
当時、開山慧玄は、美濃(現在の岐阜県)で修行をしていたが、花園法皇の院宣を受けて、都に戻り1342年(康永元年)に、妙心寺の創始しました。
宗峰妙超が、「正法山妙心寺」の山号寺号を命名したと伝えられています。

妙心寺を創始した関山慧玄の禅風は大変質素で、厳格なものだったと言われています。
で、その生活は質素をきわめたという。
その後、妙心寺では、開山関山慧玄・二祖授翁宗弼・三祖無因宗因・四祖日峰宗舜・五祖義天玄承・六祖雪江宗深を「六祖」と呼び尊び崇めています。

妙心寺の最大の危機

妙心寺は、一時断絶の危機がありました。
それは、妙心寺 の6世目の住職であった拙堂宗朴(せつどうそうぼく)の時代です。
拙堂宗朴は、当時の将軍家であった足利氏と対抗し、反乱(応永の乱)を企てた大内義弘と深く関係していたのが原因と言われています。
そのため、室町幕府3代将軍足利義満の怒りに触れ、1399年(応永6年)妙心寺の住職・拙堂宗朴は、青蓮院に幽閉の身となり、妙心寺は寺領を没収され、青蓮院の義円(第3代将軍足利義満の五男。
後の足利義教)に与えられます。
義円は、没収した妙心寺を南禅寺の僧侶で、足利一族である廷用宗器(ていようそうき)与えてしまいます。
廷用宗器は、妙心寺の社号を「龍雲寺」と改名し妙心寺は一時中絶することとなってしまったのです。
これが、妙心寺最大の危機と言われています。

妙心寺が、復活するのは33年後の1432年(永享4年)のことです。
廷用宗器が、南禅寺の僧侶・根外宗利(こんがいそうり)に龍雲寺となった妙心寺の敷地の一部を与えました。
妙心寺を創始した関山慧玄の流れを組む根外宗利は、妙心寺の復興に動き出します。
そこで、尾張(現在の愛知県西部)の青龍山瑞泉寺(せいりゅうざんずいせんじ)から日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)を迎えて妙心寺を中興することにしたのです。
社号は再び「妙心寺」と改められました。
当時の妙心寺は荒れ果てていましたが、当時65歳の日峰は、瓦のかけらや小石を拾ったり、生い茂った藪を切り開き、重労働を厭わず妙心寺を復興させたのです。
その後も、室町時代の守護大名であった細川持之(ほそかわもちゆき)の保護により、妙心寺は復活を遂げました。

妙心寺の焼失と復興

妙心寺は、1467年(応仁元年)に起きた戦国時代を作った戦乱としても有名な応仁・文明の乱の応により、妙心寺との関係が深い龍安寺とともに伽藍が焼失してしまいます。
全てが燃えてしまいました。

応仁・文明の乱は、長く続き10年に渡りました。
その後、1477年(文明9年)に当時の第103代天皇後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)から妙心寺再興に命が下され、ほぼ10年にわたって続いた応仁・文明の乱がその終わりを迎えた文明(ぶんめい)9年(1477)の年、後土御門(ごつちみかど)天皇から妙心寺再興の綸旨が下賜され、雪江宗深(せっこうそうしん)が住職となり、細川管領家の援助の元、妙心寺の復興に尽力します。
妙心寺が「算盤面(そろばんづら)」と呼ばれているのをご存知でしょうか?これは、この雪江宗深が寺院経営に策を講じて、それまで寺領荘園の年貢などに頼っていた経営から、大名などはじめとする多数の信徒からのお布施やあちこちに広がっている田畑や山林の所有を明確にした基礎を置く寺院経営へと転換させ、きちんとした会計制度を作ったことに由来します。

戦国時代になると妙心寺は、大きく発展していくことになります。
1509年(永正6年)、第104代天皇後柏原天皇は、妙心寺を紫衣をつけて入寺ができる寺(紫色の袈裟は、大変徳の高い僧侶のみは許されており、天皇から許可がでないと当時は着ることすら許されませんでした。)としました。
紫衣の着用は、最高の僧侶の栄誉とされており、それだけ徳が高い寺院と認められたことになります。
そして、この勅命が巧をそうしたのか、第11世の住職だった悟渓宗頓(ごけいそうとん)に帰依していた利貞尼(りていに)と尼僧が、妙心寺に土地を寄贈し、現在のような広大な境内となりました。

広大な境内となった妙心寺には、法堂や塔頭など次々と創建されていきました。
そして、戦国大名である今川・織田・武田などの有力者の援護を受けて大いに栄えていきます。
豊臣・徳川時代になると、配下の大名たちが競って伽藍の造営や塔頭を創建し、最盛期には83の塔頭、7堂伽藍を有する大寺院となりました。

見どころ その1

三門(さんもん)

三門(さんもん)

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三門は、桃山時代建築で重要文化財に指定されています。
創建は、1599年(慶長4年)。
楼上(門の上)には、観世音菩薩と十六羅漢が祀られており、極彩色鮮やかな飛天や鳳凰・龍などが柱や梁に描かれており、一見の価値があります。
しかし、通常は公開されておらず、6月18日の山門懺法会の儀式の時のみ参拝が可能です。

仏殿(ぶつでん)

仏殿(ぶつでん)

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仏殿は、1827年(文政10年)に創建された比較的新しい伽藍です。
重要文化財に指定されており、法堂と仏殿は廊下でつながっています。
仏殿内部には、須弥壇の上に本尊釈迦如来像が安置されていますが、一般公開はされていません。

LUAN

Writer:

二児の母。自他共に認める「歴女」。寺社仏閣巡りが趣味。大学時代は、巫女バイトに励み神社の驚愕の裏側を知る。主人の仕事で、ニューヨーク、カリフォルニアに5年間住むことになる。ナショナルパークなどの世界遺産の素晴らしさを実感。ライターという仕事を通して、歴史や世界遺産の素晴らしさを多くの方と共有できれば幸いです。

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