古代ローマ帝国が滅びた原因の一つがこのゲルマン民族の大移動だと言われています。今回は特にローマ帝国が滅んでいくのにゲルマンの民族がどうかかわったのか、そしてゲルマンの民族はどこへ行ってしまったのか。そして本当にゲルマン民族って蛮族なのか。
そのような内容を中心に彼らの歴史をご案内したいと思います。
- ゲルマン民族を知っていますか?
- ゲルマン民族って誰
- ローマ人からみた視点
- 古代ローマ末期のゲルマン民族
- ゲルマン民族のタイプ
- #1 生まれたときからローマ人
- #2 蛮族部族長
- #3 完全な略奪者
- ゲルマン民族のローマ帝国内の位置づけ
- ローマ人か蛮族出身者か
- ローマ化した蛮族の信仰
- ローマ帝国の分裂
- ローマ帝国はなぜ分裂したのか
- 蛮族で最後のローマ人スティリコ
- 略奪者西ゴート族
- 西ゴート族のアラリック
- 再びアラリック対スティリコ
- 別の蛮族襲来
- 黒い森の国境が機能しなくなった
- ここでも活躍するスティリコ
- 今度はローマ兵の反乱も
- 台風のようなゲルマン系の民族がガリアに流入
- スティリコの苦肉の策
- ついにローマを包囲!やりたい放題のアラリック
- 脅しのローマ封鎖
- ローマ劫掠
- 西ローマ帝国の終焉
- フン族との相対によって生まれたこと
- ローマ帝国皇帝の最後
- ヨーロッパの新しい国
- 突然歴史が大きく動く時
この記事の目次
ゲルマン民族って誰
3世紀ごろの彼らは自らのことを「ゲルマン人です」とは認識していませんでした。
この「ゲルマン民族」という呼称はゲルマンの地に住む人々を総称して後年に学者によって名づけられたものなのです。
当時のローマ人でさえ彼らのことは一括して「蛮族(バルバルス)」と認識しており、せいぜいゲルマニアの民族という位置づけでした。
ゲルマニアも当時ローマ帝国の国境であったライン川東部とドナウ川北部の地域を一括して総称していたので、この地域にいる民族がローマ人にとって蛮族でした。
現在では北はスカンジナビア半島からブルガリアとドイツよりも東の一帯になります。
古代ローマ人はもっと細かに彼らのことを認識しており、西ゴート族・ヴァンダル族・アングロ族・フランク族といったように部族の名称で彼らを区別していました。
後年の学者が「蛮族」という言葉をローマ側の視点で差別的と捉え、後に彼らを一括して「ゲルマン民族」と総称したと言われています。
ローマ人からみた視点
カエサルが今のフランスとベルギーあたりまで進軍し、ガリア人達をローマの属州へしていく際に、ゲルマニアの地域について記載していました。
その中にはガリア人(ケルト人)とゲルマニアに住む民族は明らかに異なり、彼らは他者と同化する性質を持たないとして、ライン川とドナウ川を国境とし互いに棲み分ける政策を選んだと言われています。
ローマ人がいうところの蛮族の彼らは文字を残したり記録を持たないため、どうしても後世の私たちはローマ人の視点を通してみたゲルマンの民族を想像してしまいます。
そのイメージとしては野蛮で暴力的で女子供も容赦なく襲い、略奪し、文化的な要素もないイメージを抱きがちです。
そのイメージは半分合っていて、半分はデフォルメされたイメージになります。
ゲルマン民族のタイプ
#1 生まれたときからローマ人
ローマ社会に溶け込んだローマ化した人たちです。
#2 蛮族部族長
彼らはローマ帝国とは同盟関係にある部族長として帝国内に部族の居住権を得、その代償にローマ軍と共闘して侵攻してくるほかの部族を撃退するという約束で成り立っていました。
傭兵契約のような関係ですが、この時代になると蛮族の侵入を蛮族の兵を持って退けなくてはいけないほどローマ軍の力は弱まっていることが伺えます。
#3 完全な略奪者
4世紀より前からこのタイプは自分たちの土地が不作になると侵攻しては略奪をして戻っていくことを繰り返していました。
しかし4世紀ごろになると、侵攻して略奪した後に居座るようになっていきます。
遠くはアジアから西に勢力を伸ばしてきたゲルマン系ではない蛮族のフン族によって自分たちが住む場所が荒らされたからです。