世界史の奇跡!?江戸時代の歴史まるかじり

時代劇でおなじみ、江戸時代。この時代、世界史的にとんでもない時期なんです。〈パックス・ロマーナ〉すなわち(ローマによる平和)が続いたのは、200年。しかし〈パックス・トクガワーナ〉――(徳川家による平和)はそれより長く265年に渡ったのです。その265年の長い歳月のあいだに日本は成熟し、明治時代以降に爆発的発展を遂げることすら可能でした。この奇跡の265年・江戸時代の歴史ダイジェスト、身分制度、政治、文化、外交、数々の歴史上の人物――みーんなコンパクトにまとめてみました。読み終えたら、江戸時代のスゴさにポカーンとなる……かも?

江戸前期~江戸中期のスゴい将軍たち

江戸前期~江戸中期のスゴい将軍たち

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徳川家康が幕府を開いてから、暴れん坊将軍・吉宗公の時代までをまずは追いましょう。
まず4代目家綱までがいなければ、徳川家はこれまでの武家政権同様、平和を確立することができずに数十年で滅んでいたでしょう。
「徳川家千年の計」をはかった、家康、秀忠、家光ら徳川家3代の将軍、そして幕末の「あの人」の祖である1人の侍の存在が、この平和の時代を確立しました。
徳川家中興の祖・吉宗と、悪人扱いされることで名高い田沼意次……一気にかけぬけてみましょう。

〈徳川家千年の計〉を確立した家康、秀忠、家光、そして――

1603年、徳川幕府、開幕。
その後大阪の役で豊臣家とその勢力を一掃した徳川家康、そして2代将軍秀忠は、諸大名に対して「法律」を発布します。
〈武家諸法度〉です。
これは「武芸をおさめること」「謀反は禁止」などの基本的なことを定めた法律。
「武芸をおさめること」「謀反は禁止」など基本的なことが書いてありますが、「大船(戦艦)を作ることを禁止する」「諸大名は妻子を人質として江戸にとどめ置くこと」などを盛り込みました。
これをもって「武士の世を作るために、武士を統制する」という策に出ます。

就任演説で「余は生まれながらの将軍」であると言い放った3代将軍・家光。
彼はこの〈武家諸法度〉を完成させ、外国勢力から日本を護るためにいわゆる〈鎖国〉を実施。
徳川家体制を盤石にします。

そして太平の世を確立したもう1人の武士がいます。
江戸時代史上最初の〈大老〉保科(松平)正之です。
家光の異母弟、いわゆる「ご落胤」の彼は実兄・家光に見出され、幕府の大役を命じられます。
江戸に大火事があって天守閣が焼け落ちたとき「江戸復興のために天守閣は再建しない」という決断を下した正之。
また、このとき火消し(消防署)が設立され、火災に強い都市計画がなされました。
善政を敷き、徳川家265年平和の確立に貢献した保科正之。
彼のその子孫が、あの会津藩主・松平容保です。

改革者・吉宗、経済を大切にした田沼意次

保科正之に支えられた徳川綱吉のあと困った事が起きました。
なかなか跡継ぎができません。
若死に、早逝が続き、ついに直系がとだえます。
ついに〈御三家〉の登場です。
家康は徳川家が絶えないようにと「将軍家予備軍」として3つに分家を作っていました。
数々のゴタゴタの末に決まったのが、紀州徳川家出身、かの徳川吉宗です。

吉宗は改革者でした。
浪費の多かった面を徹底見直し。
当時、人びとの通貨の基準値だった米価の安定に心を砕きました。
このとき行った「キリスト教に関係のない洋書輸入の解禁」が日本の歴史を大きく動かします。

その吉宗のあとを継いだのが、田沼意次。
賄賂政治で悪名高い彼ですが、最近の研究では非常に有能な政治家であったことが判明しています。
財政難におちいっていた幕府。
そこで「金があるところから回せばいい」という経済的発想で、重商主義を発揮します。
しかしその後、節約志向で吉宗をリスペクトする松平定信との政争に敗れ、〈寛政の改革〉を行った松平定信に追い落とされるとき、節約重視で武士の権威をおもんぱかった定信によって行われたネガティブキャンペーンが現代に至っているのです。

江戸後期~幕末の鳴動

江戸後期~幕末の鳴動

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武士の世がどん詰まってきます。
財政難、大飢饉などで幕府、そして各藩の武士は日々財政難!一方で商人はじめとした町人文化は隆盛を極めていきます、が、それでも日本は戦のない日々、太平の世を満喫していました。
一方日本の外で世界情勢は転回します。
隣国にして大国・清が大敗北を喫した〈アヘン戦争〉のニュースがオランダ船や中国船を介して伝わるや、日本の知識人は一気に危機感をいだきます。
動脈硬化を起こしつつあった徳川幕府という組織。
その行く末や、いかに。






〈蘭学〉の爛熟、伝わってくる鳴動する世界情勢

〈アヘン戦争〉で清が敗北したのが1842年。
清の商人やオランダ船によりその報せはあっという間に日本に伝わります。
またナポレオン戦争の動静が日本にも届き、日本の知識人たちは大いに未来を憂います。

そのような中、1841年に水野忠邦は〈天保の改革〉を実施。
江戸時代3大改革は「節約!農本主義でサムライの権威を高める」ことに尽きます。
吉宗が実施した〈享保の改革〉のときはともかく、常に外国かぶれのインテリは邪魔者でした。
このときに蘭学者に対する大弾圧事件〈蛮社の獄〉があったのです。
日本を憂うる超一級の外国通知識人が、次々と獄死などするというこの事件において日本が被った損失は非常に大きいものでした。

とにかく幕府も各藩も財政難。
権威を確立するために必死の改革をしますが、水野忠邦の行った〈天保の改革〉は失敗。
ちなみにこの〈天保の改革〉前に実施されていた〈大御所政治〉で権勢を振るった11代将軍・家斉。
大奥に予算をつぎこみ、40人の側室を持ち子供を55人も作って、それをあっちこっちの藩に強制的に養子・嫁がせます。
そうして幕府とのつながりとしたのです。
いずれにせよ徳川幕府は動脈硬化を起こしつつありました……。

成熟する町人文化の黄金期〈化政文化〉

文化・文政期――尻文字をとって〈化政文化〉と呼ばれるこの26年間の時期は、まさに近世日本の芸術のルネサンスといってよいでしょう。
ちなみによく時代劇で舞台になるのも、この文化・文政年間。
どんな風景が広がっていたのか、ざっくり見ていきましょう。

民間の教育施設〈寺子屋〉により、庶民の識字率はかぎりなく100%に近かった日本!庶民が心躍らせて読んだ〈草子〉(小説)は曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」十返舎一九「東海道中膝栗毛」。
このあと紹介する俳諧のスーパーヒーロー・松尾芭蕉のあとを継いだ俳諧の歌人・小林一茶や与謝蕪村。
また私たちのイメージするカラー印刷の浮世絵は〈錦絵〉と呼ばれますが、この技法が確立したのが文化文政期。
円山派、歌川派、琳派など数々の画師がしのぎを削って傑作をものにします。
紹介しきれないのが残念でたまりません!

その一方で、日本の沿岸をおびやかすようになった外国船に対する防備も本格化していきます。
伊豆代官・江川太郎左衛門英龍は幕府の命により近代的な大砲を作る、反射炉という施設の建造に成功。
これは2015年に世界遺産になった〈韮山反射炉〉です。
近代化は開国よりも前にはじまっていました。
その末に、ついにペリーが来航します。
〈幕末〉と呼ばれる過渡期がはじまりますが……それはこの記事の一番最後にゆずることにしましょう。

江戸時代を調べるなら絶対外さないで!〈忠臣蔵〉

江戸時代を調べるなら絶対外さないで!〈忠臣蔵〉

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といっても、現代では「正統派」の〈忠臣蔵〉を見る機会は、あまりありません。
史実では吉良上野介がいい人だったり、浅野内匠頭乱心説が出ていたり、12月14日夜に雪は降っていなかったり……。
しかし〈忠臣蔵〉は江戸時代を動かし、日本人の日本人たる精神を形作った大切な〈大事件〉です。
赤穂浪士四十七士のドラマをダイジェストでご紹介。
動画配信サービスなどで傑作『忠臣蔵』を見ることができます。
機会があればご覧になってみてはいかがでしょう。
では、いざ元禄時代、松の廊下からはじまったあの事件へ!
次のページでは『完璧な「遵法精神」にもとづく「仇討ち」』を掲載!
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