驚異!明治時代、日本大躍進の歴史

〈ヤコブ・シフ〉という巨人の賭け

ここでロシアの国内情勢に触れなければなりません。
一言で言ってしまうと、1861年大規模な身分制度改革〈農奴解放〉が行われたころから、ロシア国内はボロボロでガタガタの状態でした。
共同体が解体され、国内で共産主義や社会主義は横行し、皇帝家打倒をもくろむ勢力が増長します。
ナポレオンを撃退したあの輝かしい時代は過ぎ去っていました。

もちろん世界は「ロシアが勝つに決まっている」と思っていました。
日本に援助する国は皆無。
お金がなければなにもできない……日本政府は世界中を駆け回って資金調達に奔走します。
そこにあらわれたのは、ヤコブ・シフというユダヤ人の大富豪でした。

西洋の歴史において、情勢が不安定になったとき行われるのが、キリスト教徒にとっては共通の「敵」である〈ユダヤ人〉の意味もない虐殺です。
それを止めるようシフは何度もロシア帝国に勧告していましたが、ロシアは無視してユダヤ人弾圧を続けます。
そのロシアと戦う日本にシフは目を留めました。
2億ドルもの巨額の資金援助をして日本を助けたのです。
一枚岩の日本に対し、すでにロシアは内側から瓦解する兆候を示していました。
それは13年後、〈ロシア革命〉となって実現します。

「天気晴朗なれど波高し」陸と海、2つの決戦

日露戦争は1904年2月に勃発します。
そう、やっぱりここでも朝鮮半島と満州地方の利権問題。
陸の要衝である〈奉天〉〈旅順〉〈二百三高地〉この3つをめぐって陸海軍が激突します。
大英帝国は〈日英同盟〉に基いて日本側に立ち、清と大韓帝国はどちらつかずのままで自国領土を戦場とされるという事態になりました。

日本はまたしても挙国一致体制で戦争にあたります。
わずか約1年7ヶ月のあいだに、アジアの小国が西洋の大国の軍を撃破していくという予想外の事態に、大歓喜したのは日本だけではありません。
アジアやアフリカの諸国のみならず、ロシアの支配下に置かれていたポーランドやフィンランドなども熱狂しました。
さらにはロシア国内へ潜入した日本軍は、情報操作と革命扇動によって敵を内側から大きく揺さぶります。
日露戦争のさなかデモ隊に軍が発砲する〈血の日曜日事件〉が勃発。
ロマノフ王朝が揺らぎます。
内憂外患となったロシアに対して日本は追撃をかけます。

1905年9月、日本はロシア帝国に勝利。
しかしその後、外交的にはかなりギリギリのところまで追いつめられました。
膨大な犠牲を出したにも関わらず、樺太を割譲され満州地方を植民地にする足がかりを得るなどします。
しかしロシアの外交上手により、なんとロシアから戦争賠償金は払われませんでした。
日本は第一次世界大戦後にまで残る膨大な借金を抱えることとなります。

日本近代文学の誕生

日本近代文学の誕生

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「文化的にも西洋列強に近づくべきだ。
そうでないと本当の開化はやってこない」――文化人たちも動きだします。
それまでの、読むのに難解な文語体から、話し言葉と書き言葉が同じ様式〈言文一致体〉が登場。
さまざまな模索が行われます。
和歌や王朝文学からはじまり、草子に俳句と連なってきた日本文学は新たなステージに上りました。
明治時代の文学はひたすら実験作。
伝統的な日本人の季節を愛する美意識、万葉集からはじまる写実主義的な表現法、さらには貪欲なまでな新様式へのこだわり……。
日本文学はやがて爛熟し、のちにノーベル文学賞受賞者を排出する土壌を作り出すのです。






日本文学の巨人・夏目漱石

本当はこの人は努力の好きな凡人だったのかもしれません。
小さいころは漢文の書籍が大好き。
成績優秀を買われて政府から「イギリスで文学を制覇しておいで」と送り出されます。
日本と西洋の感性の違いにノイローゼを発症しつつ帰国後『文学論』という大著をものにします。
気晴らしにどうだと正岡子規が勧めた俳句で文才を発揮しはじめ「やってみたらどうだ」と勧められて小説を書き出し……。
かなりの努力家ですね。

その作品の多くは西洋文学の様式や技法を検討した上で、日本に置き換えたらどうなるかと模索した「実験作」でした。
おもしろくても小説としては、実は失敗作……漱石の作品は本当は、そんなものばかりです。
例えばかの『吾輩は猫である』は、英国の作家スターンの『トリストラム・シャンディ』を模倣したもの。
『こころ』『坑夫』などは同じく英国の作家コンラッド『闇の奥』の手法を借りたものです。
たとえ「失敗」を重ねたとしても、その失敗はあまりにも大きな実となって日本文学に残り、多くの種を蒔きました。

不安定で先の見えない日露戦争後の日本において「作家」夏目漱石は近代人の苦悶を描いていきます。
圧倒的な文章力で飽きさせることはありません。
さらには多くの弟子をとり、作家の集まり〈木曜会〉を開くなどして芥川龍之介はじめとする逸材を世に送り出したのです。

日本の詩魂の結晶〈樋口一葉〉という少女

生前は決して日の当たる場所に出ることがなかった、日本文学史に名を残す女流作家がいます。
旧士族の家に生まれ「奇跡の1年間」に『たけくらべ』『大つごもり』など文学史に残る作品を発表し、貧窮のただなかにわずか24歳で世を去ったこの作家を、森鴎外は「自分は誰がなんと言おうと彼女を支持する」と激賞しました。
樋口一葉です。
彼女もまた、文学の過渡期において大きな役割を果たしました。

多くの日本人が西洋に目を向ける中、彼女は純粋な「日本」の世界を描いていきます。
寺の息子と吉原遊郭に住む少女のはかない恋、そして吉原周辺の風俗を如実に描いた『たけくらべ』遊女が破滅して情死していくまでの悲劇『にごりえ』はじめとして作品の多くが、女の哀しさと同時に日本らしい情緒――着物に帯を締め、まげを結い、季節を愛する日本の原風景に似た姿が描かれています。

今となっては5000円札の人ですが、鍋の底をなめるような貧しさの中で生き、死んでいった、樋口一葉。
雅俗折衷体で書かれた文章のうつくしさ、情緒は現代語では絶対にその妙味は味わえません。
学校で習う程度の古文を知っていれば、ニュアンスで読める作品ばかりです。
ぜひとも機会があれば読んでみてください。

農村の危機、日本初の公害発生

農村の危機、日本初の公害発生

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さてここで学生時代の教科書を思いだしてください。
田中正造による明治天皇への「直訴」事件です。
「そんなこと、なんで実行したの?」その裏には、国の基盤である〈農村〉を想う血の滲むような思いがこめられていました。
地方の農村の〈小作農〉たちのあまりに貧しい暮らしぶりに、心ある人びとは憤ります。
そしてついに日本でも〈公害〉が起こりました。
大地を穢し多くの生命を犠牲にした〈足尾銅山鉱毒事件〉が発覚。
地方の弱者たち、そして日本そのものの基礎が危うい――文明開化の足音の影を見ていきましょう。
次のページでは『農村の悲惨「このままでは日本が滅ぶ」』を掲載!
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