驚異!明治時代、日本大躍進の歴史

農村の悲惨「このままでは日本が滅ぶ」

文明開化で発展を遂げる日本ですが、農村はひどい状況でした。
特に〈小作農〉と呼ばれていた貧農の生活は悲惨きわまりないもの。
これには当時の税の徴収方法が絡んできます。
明治時代になってから全国の地主は「米がとれてもとれなくても、土地の価格の3%をかならず〈お金で〉納めること」を国から義務付けられます。
地主は収穫した米を売りさばき、お金に替えて納税していたのです。

そこで一番弱い立場に置かれるのが、農業従事者の〈小作農〉。
「耕作地を貸してもらっているお礼」という形で地主に作物やお金を納めます。
地主の収入は〈小作農〉に依存していきますが、汗水たらして働いている〈小作農〉たちの生活はというと、畳と布団のレンタル代でとぼしいお金が飛んでいくという有様。
典型的な資本家と労働者の優劣関係が形成されていました。
この格差は太平洋戦争後のGHQによる改革で〈農地解放〉が決行されるまで続きます。

そんな中で起こるのは〈農民運動〉です。
弱い立場の農民、そして農村を救うために数々の運動家や政治家が動きだしました。
農村は国の基盤です。
これを損なっては、国家が滅ぶ――問題を知る人びとの間では危機感が高まっていきます。

田中正造が命を賭けた〈足尾銅山鉱毒事件〉

命を賭けて日本の農村を憂いた男がいます。
田中正造――栃木県の政治家です。
日本で初めての公害〈足尾銅山鉱毒事件〉のために命を賭けた男でした。
栃木県と群馬県にある〈渡良瀬川〉で鮎の大量死、立ち枯れる木や稲――原因をたどると、そこには〈渡良瀬川〉上流にある〈足尾銅山〉がありました。
この公害により、作物を作れなくなった農村が廃村になるなど危機に陥ります。

衆議院議員だった田中は国会で演説するなど、この危機に動きます。
しかし一向に動かない国や大企業。
彼は最後のデモンストレーションに訴えます。
最高権力者・明治天皇への〈直訴〉――死を覚悟しての決行でした。
行幸馬車に訴状を持って駆け寄っていった田中でしたが、狂人として取り押さえられます。
しかしその直訴状の中身は新聞号外となって広く世間に知られることとなり、世論の感心は一気に〈足尾銅山問題〉へ向かいます。
ここに至ってようやく政府は動き、被害農民と足尾銅山を管理する会社の調停が、会社側の加害責任を認めて終わったのは、なんと太平洋戦争の後、100年が経過した1974年になってからです。

田中正造はその後も足尾銅山と渡良瀬川の公害を訴える運動を続けました。
全財産を運動の資金に使い果たしたため、亡くなったときにはほとんど無一文だったほどです。
国家の基礎である農村はこのように、志ある人びとにより命がけで守られてきたのでした。

〈社会主義〉〈無政府主義〉の台頭

〈社会主義〉〈無政府主義〉の台頭

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この時代にふしぎな勢力が出てきます。
〈社会主義〉〈無政府主義〉――マルクス、エンゲルスが『共産主義宣言』冒頭で言う「共産主義という怪物が」日本にも上陸したのです。
思想としては穏健……なはず。
しかしてその実質的な正体は〈テロ集団〉。
彼らは反体制、平等主義からはじまってついに、触れてはいけない場所へ触れてしまいます。
幸徳秋水、大杉栄らが起こしたこの事件の正体とは、一体。
このとき日本でついに誕生した〈共産主義者〉は国際的・国家的脅威として、第二次世界大戦後の冷戦まで存在するのです。






権力と体制への反抗者たち

と、その前に〈社会主義〉と〈無政府主義〉の内容をざっとおさらい。
一般に〈左翼〉と呼ばれる思想で、さらに細かな派閥があり、ここで説明するのは本当にざっくりとした内容。
〈社会主義〉はかのマルクス、エンゲルスが著した『共産党宣言』が有名です。
それまで歴史の中でないがしろにされていた労働者たちの権利を向上させ、もっと平等を求めるもの。
「みんなで壊してみんな仲良くしよう」というような内容です。
〈無政府主義〉はそこから発展して「権威や政府なんて全部なくして、みんなで調和の世界を作ろう!」というもの。

その調和に行き着くまでに運動家たちは、暗殺やテロリズムを必要とすると主張したのです。
無政府主義も共産主義も、既存権力への〈プロテスト(反抗)〉がその本質。
権力と体制をおびやかすとして無論のこと、各国の政府はその弾圧に追われます。
さらにそれに反抗して主義者たちは過激化を強めてゆき……。

こんなメチャクチャな運動でしたが、絶対に言葉では届かない悲惨を訴えるために、行動を起こす必要もありました。
悲しいかな、彼らのテロはたしかに民衆の声なき声を代表する形でもあったのです。

明治天皇暗殺計画〈大逆事件〉の正体

教科書にチラッと出てきて、どうやら重大事件っぽいのに詳細はスルーされた〈大逆事件〉。
この事件を内容に基づいて言い換えると〈明治天皇暗殺計画事件〉。
そしてもう1つ〈社会主義者・無政府主義者一斉撲滅事件〉という側面もあります。
日本政府は社会主義と無政府主義に非常な脅威を覚えていました。
なんとかして弾圧したい、当局にとってはこの〈大逆事件〉はその絶好の機会だったのです。

〈天皇暗殺〉ということを考えていたのは、幸徳秋水などたったの5人。
しかし実態は、身内だけで空想をひねくりまわしていたという程度だったようです。
暗殺用の爆発物を作るものの、内部で悶着があって、決行はなかなか行われず。
そんな中当局は、全国の社会主義者・無政府主義者に大きな影響を持つ幸徳秋水を、非常に厳重に監視していました。
明治天皇暗殺という計画を知った当局。
実際に爆発物を発見したことにより、これを絶好の機会ととらえた当局は全国で社会主義者・無政府主義者の一斉摘発・検挙をし、撲滅をはかったのです。

「天皇陛下・皇族への大逆(だいぎゃく)、謀反を起こそうとした重罪人」として秋水ら24人は死罪に処されます。
この事件の裁判は非公開、証人も呼ばれずに十分な審理もなく、結論ありきのものでした。
政府は社会主義者・無政府主義者を徹底弾圧することに成功し、人材のいなくなった社会主義者たちは冬の時代を迎えます。

苦悶深まる日本、明治天皇の崩御

苦悶深まる日本、明治天皇の崩御

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袋小路の中で迷走しはじめた日本。
しかし日本は前へと邁進しつづけます。
45年間つづいた明治が終焉するその前年、ついに幕末期から念願だった〈不平等条約〉の改正が成就。
さらには現在まで韓国との関係で尾を引く〈日韓併合〉が成立します。
西洋に追いつけ追い越せで、ついに肩をならべた日本。
おどろくべき躍進を続けた明治時代。
その時代も、1912年すなわち明治45年、巨大な柱であった明治天皇が崩御し終わりを告げます。
――ここに日本の成長期〈明治時代〉は終焉を告げ、日本は次の時代へ否応なしに進んでいくのです。
次のページでは『念願の不平等条約改正、そして……』を掲載!
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