混迷のはじまり。「満州事変」の歴史

日本史の暗部〈満州事変〉――教科書でちょっと触れただけでしたが、一体あれは何だったのでしょう?。柳条湖事件?関東軍って何者?満州国ってなんで作られたの?疑問だらけの日本近代史。しかし中国史や世界史の方面からもアプローチすると、それがしっかりとした形となって見えてきます。ただでさえカオスな、第2次世界大戦前後のアジア近代史を、今回はできるかぎりわかりやすく、いっしょにたどっていきましょう。わずか5ヶ月で東アジア地域情勢を激変させてしまった、そして日本の決定的転機の1つともなった〈満州事変〉に今回は迫ります。


〈満州〉って、どんなところ?

〈満州〉って、どんなところ?

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そもそも〈満州〉というのはどのような場所なのでしょう?中国東北部、西にモンゴルと中国、南を朝鮮半島、そこは北と東をぐるりとロシアと国境を接し、日本海にも面した〈因縁の土地〉です。
この満州の南端に、日本が日清戦争でモメた〈遼東半島〉もあります。
日本が満州を重視するようになるまで理由とは、一体どのようなものだったのでしょう?またこの土地には、滅亡した清朝皇帝家・〈愛新覚羅〉氏のふるさととしてのアイデンティティも絡まってきます。
日本・中国・ソ連の三つ巴になる〈満州〉をめぐる戦い。
まずは、その基礎知識から。

清朝皇族〈愛新覚羅〉氏のふるさと

満州事変が起こった当時、もうすでに新王朝は滅亡していました。
が、中国の歴史において満州という地域は非常に重要なアイデンティティを持つ場所でした。

中国は多くの民族によって構成されています。
中国というと〈漢民族〉が長く統治していたイメージがあるかと思いますが、実際にはそうでもないのです。

12世紀、この地に拠点を構える〈女真族〉が〈金〉王朝を樹立。
中国の北半分を制覇するに至ります。
その後モンゴル襲来のゴタゴタを乗りこえ、17世紀に〈満州族〉と名前を変えた彼ら〈女真族〉は、1616年にあの〈清王朝〉を打ち立てました。
最後の統一王朝〈清国〉の誕生でした。
中国大陸は満州族が治めていたのです。

皇帝一族のふるさととして、満州地方は大きな意味を持っていました。
その後〈辛亥革命〉により〈中華民国〉が誕生。
そのときある少年が紫禁城に幽閉されます。
その後彼は社交界にデビュー、日本によって皇帝に擁立されます。
ラストエンペラー〈愛新覚羅溥儀〉です。
それはまた、のちの章で。

日本が犠牲をかけて手に入れた〈租借地〉

ここで時間を満州事変より数十年前まで巻き戻しましょう。
日本とロシアが激突し、日本が世界史的な勝利をおさめた〈日露戦争〉です。
〈日露戦争〉において日本は賠償金を得られませんでしたが、そのかわり領土獲得を実現しました。
外交上手のロシア相手にギリギリの交渉をした挙句、「満州南部は日本のもの」と決まります。
しかし北部の権益はいまだにロシアが握っていました。

ちなみに〈日清戦争〉の折、〈三国干渉〉で泣く泣く手放した〈遼東半島〉もこの、満州という土地の南端の半島です。
なぜロシア、ドイツ、フランスの三国がわざわざくちばしを突っこんできたかというと、ここをおさえられると、自分たちの中国大陸における植民地化がうまいこと進まなくなるから。
ちなみにこの三国による「表向き」の干渉理由は「遼東半島を日本が得ると、首都北京がおびやかされ、また朝鮮半島の独立も有名無実化する」というものでした。
それほどに重要な要衝だったのです。

しかし、日本にとっては二百三高地戦をはじめとした「膨大な犠牲の末に手に入れた」という思い入れが強い満州地方――。
以降、日本陸軍は〈満州〉を聖域のように大切に想っていたのです。

〈中華民国〉の誕生と軍閥バトル

〈中華民国〉の誕生と軍閥バトル

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さて中国はアヘン戦争・アロー戦争から先、そして〈辛亥革命〉の果てにどのような状況になっていたのでしょうか?山のように結ばされた不平等条約。
中国の人びとは危機感をいだきます「このままでは国が滅ぶ――」しかし案外カンタンなことでは国は滅びません。
1912年、孫文らが〈三民主義〉を掲げて民主主義国家〈中華民国〉を建国します。
それもつかのま、袁世凱亡きあとは軍閥が群雄割拠するカオスな時代へ。
中国統一がふたたび実現するのは、毛沢東の共産党を待たねばなりません。
これはそんな、大陸が過渡期であった時代に起こった戦闘だったのです。

ふたたび大国・中国へ――国権回復運動

アヘン戦争・アロー戦争、日清戦争、第一次世界大戦――さんざん不平等条約を結ばされ、大国の威厳はガタ落ちとなった中国。
しかし世界史のお決まり「一度大国を経験した国はかならず復活する」に、中国も漏れることはありませんでした。

1912年〈辛亥革命〉成立。
清王朝は瓦解し、あたらしい国〈中華民国〉が誕生します。
が!大統領・袁世凱の死後は、中華民国に統一された政府が喪失。
その土地の実力者が〈軍閥〉を作ってドンパチ繰り広げる群雄割拠の戦国時代となりました。
つまり「おれがこの国ボス!」と派閥を作って内戦状態になったのです。

内部抗争でドロドロだったとはいえ「敵の敵は味方」そして中華の国を憂うる心に、みな違いはありません。
その後彼らは、自国領土を侵害する日本に共同で対抗することとなります。

当時のおもな〈軍閥〉たち

〈軍閥〉――「ぐんばつ」と読みます。
聞きなれない言葉です。
カンタンに言えば「派閥」しかも武力を持った軍隊が構成する派閥と言い換えることができるでしょう。
ここで今後メインになってくる軍閥たちをご紹介。

まずは〈国民党〉の蒋介石です。
彼はかの孫文が打ち立てた〈国民党〉を率いて、各地の軍閥と戦闘を繰り広げ、中国大陸の権力統一をはかります。
〈北伐〉と呼ばれるこの内戦で、蒋介石率いる国民党はなんとか中国の統一をはかろうとしますが、既得権益を守りたい日本やイギリス、さらに中国の共産化を狙うソ連、それに中国国内の〈共産党〉の動きによって妨害されつつ進みます。
ちなみにその蒋介石は、第二次世界大戦後台湾まで追いこまれます。
大陸は新たに毛沢東率いる〈共産党〉によって〈中華人民共和国〉を建国されるのですが――それはまた別の話。

もう1つ、〈張作霖〉という人物の率いる軍閥は、満州地方を拠点としていた親日派の軍閥でした。
彼についてはもう少しあとで詳しく見ていきましょう。
彼の軍閥は教科書にも乗っている「ある事件」により、一転して反日となるのです。

〈大東亜共栄圏〉〈関東軍〉そして〈満州〉――

〈大東亜共栄圏〉〈関東軍〉そして〈満州〉――

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〈日露戦争〉に勝利したことによって、世界の流行より一歩遅れて、日本は〈帝国主義国家〉となります。
一歩遅れて、というのも、西洋諸国は第一次世界大戦を経て、植民地では独立運動が活性化し、〈民族自決主義〉が主流となっていたからです。
一方、日露戦争の終結直後から、日本は次の戦争の相手をアメリカと仮定して動きはじめていました。
そんな中、〈帝国主義〉と〈アジア諸民族の平和共存〉という理想が奇妙にブレンドされた、対米戦争を仮定して作られた壮大なプロジェクト〈大東亜共栄圏〉の大きな狙いとはいったいどのようなものだったのでしょう?

〈関東軍〉という名の独立権力

関東、といっても日本の「関東地方」の関東とニュアンスはまったく違います。
中華民国の一地方〈関東州=満州〉を守護する軍隊。
それが〈関東軍〉です。
といってもこの〈関東州〉も租借地、つまり「日本の半植民地」状態という微妙な立ち位置の土地でした。

関東軍は、日本が権益を有する〈満州鉄道〉沿線を警護するための部隊として最初、誕生します。
ただの警備隊なのだから穏健な部隊なはずです。

しかし彼らはのちに暴走し、現場レベルの判断で勝手に戦闘を引き起こし、しかも処罰されることすらないという、意味不明な行動を起こします。
政府をはじめ天皇のご意向すらも無視して独断専行に走る関東軍。
なぜこのようなことをしたか、おさえておかなければなりません。
それを知るキーワードがあります。
〈大東亜共栄圏〉です。

Writer:

文学少女が世界文学の時代背景に興味を持ち、調べていたら大学では文学部じゃなくて歴史学部に入ることになっちゃった。生粋の文学好き美術好きの27歳です。現在はライターとして活動中。夢はロシアのサンクトペテルブルクでドストエフスキー「罪と罰」ごっこをすること。楽しくおもしろい歴史と本の世界を少しでも伝えられれば幸いです。

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