古代地中海世界に繁栄をもたらしたフェニキア人の歴史

ヴェネツィアの商人などで知られる地中海の金融や商業活動って、現代でもお手本にされるこが多いですよね。その起源ってどんなものだったか気になりませんか?今回は、商業を発明したといわれるフェニキア(カルタゴ)人ってどんな歴史をもち、どのようにオリエント文明へと繋げていったかを紐解いてみたいと思います。

フェニキア人ってどんな人たち?

フェニキア人ってどんな人たち?

image by iStockphoto

フェニキアとは、現在のレバノン近くに紀元前3000年ごろ出来た民族と国家です。
フェニキア人は、一つの民族ではなく、テュロス(現スール)、シドン(現サイダー)、ベリュトス(現レバノンの首都ベイルート)などに移住してきたセム語系の諸族のこと。
彼らは商業に関する能力に秀でていました。
海上交易により、クレタ文明が栄えていたギリシア都市との交流もあったようです。
後に砂漠や海に囲まれ狭い地域にあったフェニキアは、メソポタミア、エジプト、アナトリア半島などとの交易をし、古代オリエントの交通の要所として発展していきます。

image by iStockphoto

紀元前14~13世紀には世界中で貿易が盛んになり、フェニキア人の商業基地(植民地)が各地に建設されました。
特に、チュニジア共和国の世界遺産「カルタゴの遺跡」で知られるカルタゴは、この時大都市へと発展しています。
紀元前814年にカルタゴは、建国されたのではないかと推測されています。
フェニキア人たちは争いを好まない人々で、先住民に土地代を払うなどをして平和的な関係が築かれていたようです。

都市国家を形成したフェニキア人

都市国家を形成したフェニキア人

image by iStockphoto

この地に移住した最古の民族は、北西セム語族のカナン人といわれています。
彼らは、砂漠の民族で、遊牧と農耕的な生活を営んでおり、セム系の様々な民族が集まることにより混血人種となっていきました。

都市国家を形成し始めたのは紀元前15世紀ごろからで、古代国家が繁栄したエジプトやバビロニアが近くにあったことから、その影響を受けて文明が開化したようです。
先ほどお話しした、チュニジア共和国のカルタゴだけでなく、15世紀頃に栄えたウガリット、スペインのカディスやバルセロナもフェニキア人が築いたものといわれています。
実は、凄い民族だったのかも。
期待は膨らみますね。

文明を伝える役目を果たした古代海洋王国フェニキア

文明を伝える役目を果たした古代海洋王国フェニキア

image by PIXTA / 16922581

彼らは、思い沿岸部に都市を建設し、そこを拠点として海上貿易を発展させました。
彼らは航海術にとても優れており、地中海や大西洋まで進出していったのです。
主にインド洋を使い、当時港がたくさんあったアフリカへも航行していたと考えられています。
証明はされていませんが、紀元前4~3世紀ごろフェニキア人は、日本に訪れていたのではとの説もあるんです。
それが本当なら、当時縄文時代だった日本は、彼らにどんな風に見えたのでしょう。

彼らの功績の一つに、文明の伝達があります。
メソポタミア平原から地中海を経て北ヨーロッパやイギリスに至るまで、オリエント文明を伝達しました。
今では、メール配信ですぐに伝わることも、そのころは海図や文書の存在がまだない時代で、口伝で伝わっていたのです。
海を渡って文明を伝えるって、壮大なロマンを感じますね。







海の民との関わり

海の民との関わり

image by iStockphoto

彼らが、交易を容易にできた理由の一つに、地形的なものもあったのではと思います。
海岸線は複雑で多島だったということから容易に航行することができ、イベリア半島東南部からシチリア島までの西地中海貿易を支配していたからです。

しかし、紀元前13世紀ごろから、東地中海一帯を征服しようとするやからが登場します。
それは、海の民という集団です。
彼らが、幅を利かせるようになると、当時大国だったヒッタイトは滅亡、エジプトの勢力が衰退していきました。
フェニキア人、アラム人、ヘブライ人は彼らが襲った土地に入り込み、様々なところに植民地(交易の場)を獲得していったのではとも言われているんです。
悪と商業が密接に組み合わさっていたと考えられます。

拡大していく交易の領域

拡大していく交易の領域

image by iStockphoto

シリアやメソポタミアの遊牧民だったアラム人たちは、紀元前10世紀ごろにダマスクスを中心に内陸中継交易で栄えた人々です。
彼らが用いていたアラム語は、内陸交易に準じて広まり、西アジア全域の共通語となっていきました。

セム語系の民族で、メソポタミアの遊牧民だったヘブライ人は、カナン人を征服し、パレスチナを拠点とています。
新王国時代に一部がエジプトへ移住したようです。
しかし、エジプトでは圧政に悩まされ苦しい日々が続きました。
これが、神話で有名な「モーセ」を生み出し、彼らをエジプトからパレスチナへと導き、ヘブライ人の掟となる「十戒」を授かりました。
もちろん、聖地エルサレムを建設したのも彼らです。
彼らは、自らをイスラエル人と呼び、バビロン捕虜後にユダヤ人と呼ばれるようになります。

アルファベットのもとを造ったのはフェニキア人だった

アルファベットのもとを造ったのはフェニキア人だった

image by iStockphoto

造船術や航海術にたけていたフェニキア人は、地中海中心に活躍しました。
商業用地として活用する植民地活動も、活発だったのです。
彼らは、カナン人から学んだ表音文字を基礎に、22の子音から成るフェニキア文字を造りだしました。
この文字ができるまでは、楔形文字が使われていたようです。

交易を通じてフェニキア文字は、地中海に大きな影響を与えました。
彼らが作ったのは子音のみで、母音はギリシア人が作り現在のアルファベットへと発展しました。

次のページでは『レバノンの国旗に描かれた杉の木』を掲載!
次のページを読む >>