イギリス・フランス・ロシア間の友好協力体制が出来上がった結果起こったのは、第一次世界大戦だった

三国同盟と三国協商の対立が起こした戦争が、第一次世界大戦といわれています。条約ほど強制力がない緩やかな協力関係で結ばれた商議上の協定が、世界にもたらしたものってどんなものだったのか気になりませんか?今回は、イギリス・フランス・ロシア間で結ばれた協定、「三国協商」について、紐解いてみたいと思います。






三国協商の起源となった三帝同盟

三国協商の起源となった三帝同盟

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1873年にアレクサンダー2世(ロシア皇帝)とフランツ・ヨーゼフ(オーストリア帝国の皇帝)とヴィルヘルム2世(ドイツ皇帝)の間で、三帝同盟が結ばれました。
これは、ドイツの首相ビスマルクの戦略と一つで、フランスを外交的に孤立させるために結ばれた同盟といわれています。

なぜ、ドイツがここまでフランスを憎んだかというと、普仏戦争の結果アルザス・ロレーヌがドイツ領となったことでフランスがナポレオン時代のように脅威とならないように、ドイツ帝国の安全保障を確立するためにビスマルクが同盟へと結びつけたものです。
しかし、三帝同盟は、バルカンを巡るロシアとオーストリアの対立により、1878年のベルリン会議後に解体してしまいました。

露仏同盟の締結はこのように行われた

露仏同盟の締結はこのように行われた

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三帝同盟解体後の1882年には、ドイツとオーストリアとイタリアの間で三国同盟が出来上がりました。
しかし、ドイツは、ロシアがフランスと同盟を結ぶことを恐れ、陰で1887年にロシアと秘密条約を結びました。
この同盟は、戦争が起こった時はお互いに中立であることを保証するものです。

ロシアとフランスの間が接近する中で、1887のドイツの金融市場からロシアが除外されたため、条約が再開されることはなくそのまま終結しました。
ロシアは外交孤立を恐れ1891年にフランスと政治協定、1894年に軍事協定を締結しています。
この協定の主な役割は、フランスがドイツやイタリアから攻撃を受けた時、ロシアは全力でフランスを守り、ロシアがドイツやオーストリアから攻撃を受けた時、フランスは全力でドイツ又はオーストリアを攻撃するというものです。

この同盟の証がフランスに残っています。
それが、1900年のパリ万国博覧会の際に架けられた「アレクサンドル3世橋」です。
同盟の証にロシア皇帝アレクサンドル3世の名が付けられました。

3B政策と3C政策って何?

3B政策と3C政策って何?

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3B政策と3C政策は簡単にいえば、植民地拡大政策のことです。
ロシアの動きを見たドイツは、西アジアへの進出を試みて、バグダッド・ビザンティウム・ベルリンの3B政策を推進しました。
一方、イギリスが起こしていた3C政策という、カイロ・ケープタウン・カルカッタなど、アフリカ圏との対立は深まりました。

実は、この結果ヨーロッパは追い詰められていたのです。
かつて、ヨーロッパの覇権を握っていたイギリスでさえ、西アジアでのドイツや東アジアでのロシアの2国を自力で抑えることはできない状態となっていました。
アジアでの勢力強化を図ろうと、イギリスは1902年に日英同盟を結んでいます。

イギリスとフランスが結んだ英仏協商

イギリスとフランスが結んだ英仏協商

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1904年にイギリスとフランスの間で結ばれた協約です。
この2つの国の植民地支配により、生まれた衝突を妥協させるために結ばれました。
イギリスはモロッコにおけるフランスの優位的地位を許し、フランスはエジプトにおけるイギリスの優越を承認したことにより締結しています。
この協商を結ぶことによりイギリスは、これまで保持してきた「栄光ある孤立」という中立体制を崩す結果となりました。
これも時代の流れですね。






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しかし、イギリスの制海権を脅かす存在となっていた、ドイツ帝国海軍の拡大をこれ以上進めないようにするという試みもあったようです。
なんだか、世界を牽引するヨーロッパって意外と、仲が悪いんだな~って感じますね。
でも、大陸の中でひしめき合って、土地を奪い合いながら成り立っていた地域だから因縁があっても仕方がないのかもしれません。
同盟や協商を結んでいても、腹の中では何を考えているのか…。
でも、なんだかドイツって嫌われもの?

イギリスはロシアとも協商を結んだ英露協商

イギリスはロシアとも協商を結んだ英露協商

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イギリスはドイツよりもロシアと仲良くなりたがっていたんです。
バルカンから中国の広い地域では、昔から対立関係にあり、それに関わるイギリスとロシアは争いが絶えませんでした。
日露戦争でロシアが敗北し、極東での対立関係を解消します。
これによりイギリスはドイツに対抗するため、ロシアに進んで接近したという裏があったのです。
ロシアが勝手に転んでくれて、イギリスにとっては“棚から牡丹餅状態”だったのかも。

なんだかどことどこが、どのように絡み合っているのか全く意味不明になってきてません?ドイツが嫌われ者だってことだけが、なんとなく分かる気がします。
ロシアもバルカンに攻撃を加えたことで、ドイツやオーストリアと対立したため、実は友達が欲しかったんです。
そこに現れたのがイギリス。
相思相愛で二国は、1907年8月に英露協商を成立させ、ペルシアと中央アジアを巡り合い関係を調整することに成果を見せています。

英仏協商と英露協商を結んだイギリス

英仏協商と英露協商を結んだイギリス

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二国との協商を結んだことで、イギリスは「ドイツなんて怖くないぞ~」という状態になっていました。
それどころか、この二つの協商が、イギリス・フランス・ロシアの間に三国協商の成立させたのです。
この三国協商は、先ほど少し触れた三国同盟に対抗する存在となり、国際政治上稀に見ない2大陣営に分かれて対立することになっていきます。
超やな予感。

コウモリ的な役目をする国がありました。
三国同盟の一員だったイタリアです。
ラテンモードで三国協商側への接近を企んでいました。
オーストリアは三国協商にとっては怖い存在ではないといえます。
多民族問題で内政が悪化しており、外交どころではなかったのです。
だから、三国協商が注意する国はドイツだけで、ドイツ1国に対する包囲体制でよかったということになります。

Writer:

世界遺産ブームをきっかけに歴史に目覚めてから、国や城、庭園などの成り立ちに魅了された主婦です。何だろう?と思ったことを調べて、皆さんにお伝えすることで気持ちを共有できたら幸せだな~と感じながら仕事をしています。ちょっとマニアックな歴史記事ですが、軽い気持ちで触れてみてくださいね!

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