観光する前に知りたい!王朝文化の集大成「修学院離宮」の歴史と見どころ

修学院離宮は、京都の比叡山山麓に位置する宮内庁管轄の広大な庭園を中心とした離宮です。東京ドーム11個分に相当する約54万5千平方メートルの敷地には、上御茶屋(かみのおちゃや)・中御茶屋(なかのおちゃや)・下御茶屋(しものおちゃや)いう3つの庭園で構成されています。この修学院離宮は、好きな日に自由に参観することが出来ず、必ず宮内庁への事前予約が必要(当日枠あり)です。今回は、王朝文化の集大成とも言える修学院離宮の歴史や見どころ、楽しみ方から予約方法まで詳しくご紹介します。

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修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)とは

修学院離宮の創始

修学院離宮の創始

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そもそも離宮とは,寺社仏閣とは異なり天皇の住居であり、皇居以外に設けられた宮殿を指します。
東京では、赤坂離宮や芝離宮などがありました。
現在ではそれらの離宮は、赤坂迎賓館や旧芝離宮恩賜公園となって昔の姿を今に残しています。
京都では、西京区にある桂離宮と、今回ご紹介する左京区にある修学院離宮があります。

そして、宮内庁が管轄している皇室施設が京都には5ヵ所。
それは、京都御所・大宮御所・仙洞御所・修学院離宮・桂離宮です。
2017年現在は、京都御所は予約不要の通年公開(除外日あり)、仙洞御所・桂離宮・修学院離宮は事前予約(当日枠あり)が必要ですが、一般公開されています。

修学院離宮は、1655年(承応4年)に後水尾上皇の指示で完成した離宮です。
後水尾天皇は、第108代天皇。
中宮(現代の皇后と同じ)は江戸幕府を開いた徳川家康の孫娘・徳川和子でした。
後水尾天皇は、徳川幕府との間で「紫衣事件」(高僧のみに許される紫衣の着用を天皇が許す命を出したが、幕府がその命を無効とし、天皇が激怒した事件)を契機となり、1629年(寛永6年)に、女一宮であった興子内親王(おきこないしんのう)へ天皇の位を譲り、興子内親王は、第109代天皇明正天皇となり、後水尾天皇は後水尾上皇となります。

後水尾上皇は、譲位して後、当時の文化人として大変高い教養があり、10世紀後半に「修学院」という寺院が建立されていたとされるこの地に広大な山荘を開き、見事な庭園を築き上げました。
それが修学院離宮のはじまりとされています。

修学院離宮の構成と見どころ

修学院離宮は、桂離宮と並び江戸初期の代表的な山荘です。
後水尾天皇は、この風光明媚な地を大層気に入り、4年の歳月をかけて大規模な山荘造営を行いました。

比叡山の麓に造られた修学院離宮は、上・中・下の三つの御茶屋から構成されており、それぞれ上御茶屋(かみのおちゃや)・中御茶屋(なかのおちゃや)・下御茶屋(しものおちゃや)と呼ばれています。
それぞれの御茶屋の間には、広大な田畑が広がっており、それぞれのお茶屋を細い松並木道が結んでいます。
総面積は、約54万㎡(東京ドーム11個分)もある壮大な離宮となっています。

上御茶屋・下御茶屋は、1884年(明治17年)に宮内省の所管となりましたが、中御茶屋は、もともと後水尾上皇の第8皇女であった光子内親王(てるこないしんのう)のために1668年(寛文8年)に造営された御所でした。
そのため、実際は修学院離宮ではありませんでしたが、1885年(明治18年に、修学院離宮の一部として編入されました。

上御茶屋(かみのおちゃや)







上御茶屋の構成

上御茶屋の構成

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上御茶屋は、人の手で作られた巨大な浴龍池(よくりゅうち)という池と日本庭園の技法の一つである多数の木を寄せて植え,築山などの一つの大きな形になるように刈り込む大刈込(おおかりこみ)を中心とした壮大な回遊式庭園となっています。
上御茶屋は、後水尾上皇が自ら設計されたとも言われており、最も離宮らしい造りとなっています。

杮葺の御成門から入り、右側は山道となっており、左は池のほとりに道があります。
その池は、浴龍池と呼ばれており、龍が泳ぐ姿を見立てた池と言われており谷川を堰き止めた人工池。
堤防は高さは約13メートル・延長200メートルとかなり大きな池です。
浴龍池には、中央に中島・北側に三保島・南側に万松塢があります。
中島には東の岸から楓橋、北の岸から土橋が架かっています。
中島と万松塢の間には千歳橋が架かっています。
池の周囲は、4段構造の石垣で補強され、その石垣を見えないようにするために3段の生垣と大刈込で覆っています。

そして、御幸門から緩やかな石段を上り、離宮内の一番高いにあるのが隣雲亭が建っています。
ここからの眺めは格別で、眼下に先ほど述べた浴龍池、遠方には山々を望む壮大な風景が広がっています。
特に紅葉の時期は、真っ赤に染まり素晴らしい庭園を眺めることができます。

上御茶屋は、隣雲亭と窮邃亭の2棟の建物があります。
この建物については、詳しくご紹介しますね。

隣雲亭 (りんうんてい)

隣雲亭 (りんうんてい)

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修学院離宮の一番高いところに建てられた簡素な建物です。
海抜150メートル、浴流池とは標高差10メートルあります。
創建当時の建物は、1677年(延宝5年)に焼失されたと言われており、現在の縦も建物は、1824年(文政7年)に再建されたものです。

浴龍池と風景を眺望する目的で造られた建物だけあって、とても簡素な造りになっています。
床や棚などに座敷飾りは一切なく、装飾らしい装飾は、欄間の花菱文と釘隠にみられる程度です。
主室の「一の間」は6畳・その南に「二の間」は3畳、一の間の北側には「洗詩台」と呼ばれている2坪ほどの板間があります。
洗詩台は南側を除いた三方が吹き抜けとなっており、開放的な空間になっています。
洗詩台・一の間・二の間の西側と南側は、 板張りの縁側となっており、その周囲は土庇の軒下です。
この土庇部分の三和土(たたき)には、「一二三石(ひふみいし)」と呼ばれる赤と黒の小石が埋め込まれています。
二の間の東側には、中廊下を隔てて東から西へ8畳間・6畳間・6畳間が連なっていますが、ここからは、これらは浴龍池と風景を眺望できず、従者の控えの間であったと推測されてます。

窮邃亭(きゅうすいてい)

窮邃亭(きゅうすいてい)

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窮邃亭は、後水尾上皇によって造営された上御茶屋・中御茶屋に存在する建物のほとんどが滅失し、再建されておますが、唯一この建物が創建当時のものとされています。
江戸末期には、相当に痛んで荒廃しており、大幅な修繕はされています

この建物は、欄干付き木橋の楓橋を渡った中島の頂上に建てられています。
建築物の屋根形式は方形造りで、屋根葺きは杮葺、屋根の頂きには瓦製の露盤がありその上に切子頭の宝珠が載っています。
建物の内部は、18畳の1室のみで間仕切りなどはありません。
北側の東隅に板間が突出しており、水屋(水を扱うところ台所を指します。)となっています。
水屋には流し・天袋・地袋が設けられています。
を設ける。
座敷飾りなどはありませんが、池に面している北面から西面にかけては、ほぼ直角に曲がって、畳一枚高くした上段を設けています。
上段西の窓際いっぱいに低く欅の一枚板を渡して御肘寄としています。
また、この建物は壁で塞がれているのは、水屋部分のみで他の4面は、明障子の戸や窓と待っています。
南側上がり口の軒下には『窮邃』と描かれた額があり、これは後水尾上皇の宸筆(天皇自らが書いた文書)と伝えられています。

次のページでは『中御茶屋(なかのおちゃや)』を掲載!
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Writer:

二児の母。自他共に認める「歴女」。寺社仏閣巡りが趣味。大学時代は、巫女バイトに励み神社の驚愕の裏側を知る。主人の仕事で、ニューヨーク、カリフォルニアに5年間住むことになる。ナショナルパークなどの世界遺産の素晴らしさを実感。ライターという仕事を通して、歴史や世界遺産の素晴らしさを多くの方と共有できれば幸いです。

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