「天下統一」が果たされた激動の30年・「安土桃山時代」とはどのような時代?

長きにわたる「室町時代」と「江戸時代」に挟まれた時代「安土桃山時代(あづちももやまじだい)」。この時代は1573年(元亀4年)から1603年(慶長8年)のわずか30年間しかありませんが、その30年間は日本の歴史に欠かせない「天下統一」などが含まれている時代でもあります。それではその「安土桃山時代」とはどのような時代であったのか、今回は「時代前後に活躍した人物・出来事」や「文化」などから見てみましょう。


信長の活躍・室町の終わり

「うつけもの」と呼ばれた若き信長

「うつけもの」と呼ばれた若き信長

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1534年(天文3年)に織田信秀の子として生まれた信長は、13歳の時に元服(大人になる儀式の古都)を迎え、15歳で美濃(現在の岐阜県)の戦国大名・斎藤道山の娘であった濃姫(のうひめ)と結婚。
17歳のときには父の死によって織田家の跡取りを任されることに。

しかし当時の信長は周りから見ればとにかく「変わり者」でした。
自分の身分にふさわしくない格好をして歩いたり、黒やカキを歩きながら食べたりと、奇抜ないでたちや振る舞いが目立っていたのです。
また父の葬式の際には身だしなみを整えず遅れて登場、さらに線香を父の仏前に投げつけて帰るという「事件」をまで巻き起こすありさま。
父の葬式に遅れて登場するのも驚きですがさらにこの振る舞いとは、見ていた人々は「こいつが跡取りでは、先が思いやられる」と思っていたかもしれませんね。

こうした振る舞いから「うつけ者(からっぽという意味。
常識外れの人物を指す。)」と呼ばれるようになった信長でしたがこの男がのちに歴史に名を残すとは、当時の人々は全く想像していなかったことでしょう。

奇襲で名を挙げた「桶狭間の戦い」

そんな信長が大きく名を挙げたきっかけが1560年(永禄3年)の「桶狭間(おけはざま、現在の愛知県豊明市と名古屋市緑区にまたがる地域)の戦い」でした。
全国統一を目指していた駿河(するが、現在の静岡県)の戦国大名・今川義元(いまがわよしもと)は、進路の途中にあった尾張国に近づこうとしていました。
このとき今川郡の人数2万5千人に対し信長の織田軍はわずかに2000人余り。
人数だけ見ればどう考えても勝ち目はありませんが、信長はここで大きな奇襲に打って出ることに。

時は5月19日、織田の丸根砦(まるねとりで)と鷲津砦(わしづとりで)に今川軍が攻め入ったという報告を受けた信長。
当時今川の元にいた徳川家康(当時は松平元康)が「大高城」に大量の兵量を送り込んでおり、ここで「桶狭間と呼ばれる場所を通って行くしか道がない」ことを突き止め「ここが絶好の攻め場所だ」そう信長は考えました。

すると信長の狙い通りに今川軍は桶狭間へ。
今川軍はここで農民たちから酒や餅のおもてなしを受けていましたが、この農民たちが実は信長のスパイ。
休息をとって気を抜いている中でおまけに天気はどしゃぶりの雨、そこに攻めあがる信長の織田軍。
一気に攻めあがると軍の兵士が対象の首を取り見事戦いを制することに。
時の天気、地理的条件を予測し不利な条件を覆した信長の戦術眼は見事に的中、ここから信長の名は天下に響き渡ることになります。

近畿での勢力を強固に「姉川の戦い」

近畿での勢力を強固に「姉川の戦い」

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「桶狭間の戦い」における奇襲作戦で名を挙げた信長は、さらに戦いで勝利を重ねていくことに。
1562年(永禄5年)に三河で勢力を固めていた「徳川家康」と同盟を結び、1568年(永禄11年)にはのちの室町幕府将軍「足利義昭」を従えて京都に。
そのほかでは近江国(現在の滋賀県)の「浅井長政」に妹を嫁がせ勢力拡大を図っていましたが、そこに立ちはだかったのは越前国(現在の福井県)の戦国大名「朝倉氏」でした。

元亀元年(1570年)4月に信長は朝倉氏の本部・越前への侵攻を開始しますが、ここで信長にとって大きな誤算が発生。
味方に付いていたはずの浅井氏が敵方に回ってしまったのです。
浅井氏は織田家と縁戚関係を結ぶ一方で朝倉氏とも近い関係にあり、「織田との関係もあるけど朝倉を裏切ることもできない」ということで最終的に朝倉氏側につきました。

困った信長は一時岐阜へ退散、家康に援軍を依頼し迎え撃つことに。
姉川(あねがわ、現在の滋賀県)に向かった信長はここで戦いを始め、はじめは朝倉・浅井連合軍が優位に戦いを進めますが次第に織田軍が盛り返し、最後は織田・徳川連合軍の勝利に。
この戦いの勝利によって、信長は近畿圏での勢力をより強めることとなり、敗れた浅井・朝倉両氏は力を失っていくことになります。

反対勢力を打倒「延暦寺焼き討ち」

朝倉・浅井氏を打ち破った信長は、反対勢力を武力でねじ伏せて進んでいきます。
この頃は石山本願寺の僧・蓮如(れんにょ)によって始まった一向一揆(いっこういっき、浄土真宗本願寺教団(一向宗)の信者たちが起こした権力に対する抵抗運動)が勢いを増していた時期で、信長はこうした勢力を武力で弾圧。

この状況に耐えかねた本願寺はついに信長相手に一揆を起こすことを決意、全国の一向宗徒に呼びかけることに。
ここから「比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)」などが建ちあがり「石山合戦」と呼ばれる戦いが開始されることになります。

その戦いの中、信長が行った大きな一手が「比叡山延暦寺の焼き討ち」です。
当時「仏教の権威」とされていた「比叡山延暦寺」ですが、信長が敵対していた朝倉・浅井両氏をかくまうなど信長に対し徹底抗戦の構えを見せていました。
そこで信長は1571年(元亀2年)に延暦寺の焼き討ちを敢行、僧侶だけでなく女性や子供も巻き込み殺したのです。
仏教の権威であり誰も逆らうことのできない「延暦寺の焼き討ち」は大きな注目を集め、1580年(天正8年)には石山本願寺本部も制圧。

またこの頃には将軍・足利義昭と対立(信長の力が強すぎ、自身の力が弱すぎると不満に思っていたため)、1573年(天正元年)には将軍を追い出し、ここに室町幕府滅亡となるのでした。

武田氏を滅ぼす「長篠の戦い」

武田氏を滅ぼす「長篠の戦い」

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幕府を滅ぼした1573年(天正元年)にはライバルも滅亡に追い込むことに。
この年の「三方ヶ原(みかたがはら、現在の静岡県浜松市北区三方原町)の戦い」で「武田信玄」率いる武田軍に完敗、家康は遠江(とおとうみ)や三河の領地を武田氏の支配下に置かれた危機的状況に陥っていましたが、途中で信玄が亡くなり最大の危機は回避。
しかし今度は信玄の息子・勝頼が領地・三河国に攻め込み。
長篠城を包囲して戦いに。

ここで家康は信長に援軍を依頼、連合軍として戦いを展開することに。
連合軍は設楽ヶ原(したらがはら)に鉄砲隊を配備すると大量の鉄砲で武田軍の撃ち落とし作戦を決行。
このとき連合軍は騎馬隊が強いことで知られた武田軍対策として馬を防ぐ「馬防柵」を設置、そこから足軽鉄砲隊を配置し迎撃したとされています。

またこのとき鉄砲隊を3段に分け次々に打たせた「三段撃ち」を行ったとも言われていますが、当時の鉄砲は撃ってから次を撃つのに時間がかかると言われており、これについては事実かどうかはっきりしていません。
子の戦いは連合軍の作戦が成功し武田軍を撃破、敗れた勝頼は2年後に自ら命を絶ち、ここに武田氏は消滅。
これでますます力をつけた信長は、いよいよ改革を本格化させていくのです。

「楽市楽座」制度で商業を活発に

力をつけた信長は1579年(天正7年)に大きな城を築きます。
琵琶湖のほとりに完成した「安土城(あづちじょう)」は信長の天下統一の拠点となる城で、高い石垣の上に5層7階、頂上に天守閣が建つ造り。
内部は絵師「狩野永徳(かのうえいとく)」が描いた墨絵の部屋などが飾られており、当時の日本の芸術・技術の最高峰と言われていました。
しかし信長死後に焼失、現在城自体は存在しておらず、城の跡が「国指定の特別史跡」として残されています。

このほか信長は商業制度にも手を付けました。
スローガンに「天下布武(てんかふぶ、武力で全国統一すること、旗印に永楽銭(えいらくせん))」を掲げた信長は城の城下に家臣・商工業者を呼び「城下町」を形成。
さらに市場における税を廃止する「楽市」、「座(商工業者・芸能者の同業者組合)」を廃止する「楽座」の2つを掲げた「楽市・楽座」制度を導入。
加えて地方領主が通行人から通行料をとるだけになっていた「関所」も廃止。

このような改革を施すことにより、一部の人間による独占販売権などの利益独占を解消、新興商工業者の育成も可能に。
「座」に加入しなくても自由に見えが開けるようになり、市場の商業活発化を促すようにしました。

Junya Higashi

Writer:

これまで旅行に行った土地は鹿児島・霧島や韓国・ソウルなど。世界の土地や風習のことなど、自分の知らない世界を調べて見るのが好きです。旅行経験やライター活動で得た知識が、これから旅行を楽しむ人の役に立てば大変嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします!

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