研究に人生を捧げた奇才・天才学者「南方熊楠」とは?

歴史上の人物の中に多く見られる「天才」と呼ばれる人物。通常では考えられない感覚を武器にさまざまな偉業を成し遂げた彼らは現代社会に大きな影響を与えてきたことで知られ、一方で常人には理解できない個性的エピソードでも有名となっています。今回は歴史上で語り継がれる天才と呼ばれた人物から、日本の博物学者「南方熊楠(みなかたくまぐす)」について見てみましょう。


好奇心旺盛な幼少期

あらゆるものに興味を示す

1867年(慶応2年)に和歌山県で6人兄弟の次男として生まれた南方熊楠は、幼いころから好奇心旺盛な一面を発揮します。
昆虫採集に夢中になった熊楠は学校の授業を抜け出して出かけることは日常的で、そうした行動ぶりから「天狗ちゃん」と呼ばれる問題児として名を知られていました。
また7歳の頃から国語辞典・図鑑の書き写しを始め、町内の蔵書家に105冊で構成される百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』を見せてもらい、その記憶から書き写す驚異的な記憶力を発揮することも。

驚異的な才能を幼少期から発揮した熊楠は15歳になると中国の本草学で有名な薬学著作『本草網目(ほんぞうこうもく)』、貝原益軒(かいばらえきけん)が編纂(へんさん)した『大和本草』の書き写しも行い、この頃には普通の大人を上回る博識家になっていました。
学校では「困った生徒」とされながら勉強自体は好きであったのですね。

大学に入学するも興味は別の方へ

幼少期から天才ぶりを見せつけた熊楠は次の段階へ進んでいくことに。
1884年(明治17年)になると当時の大学予備門(現在の東京大学)に入学、同期に夏目漱石や正岡子規、本多光太郎、同じクラスには幸田露伴(こうだろはん)がいるという顔ぶれの中で学生生活を始めます。

しかし学校に入学した熊楠が学業に集中することはありませんでした。
上京した熊楠は東京・上野の国立博物館や植物園などを訪れるとその光景に感動、さらにアメリカで6000点の菌類標本が存在することを知ると学業を放り出して標本採集などに熱中。
また1885年(明治18年)には日光へ植物採集旅行に出かけており、この頃には名門学校に入ったことは「どうでもよい」ことになっていたのでしょうね。

こうして学業そっちのけで菌類研究に熱中した熊楠の学業成績は急降下。
そして1886年(明治19年)に落第が決まると「もう学業を続ける気はない」と思ったのか自主退学、そのまま故郷・和歌山へ帰郷。
そして和歌山へ帰った熊楠は別の計画を立てることになるのです。

研究のため海外へ進出

研究のため海外へ進出

image by iStockphoto

親の反対を押し切りアメリカへ

1886年(19歳)に故郷へ戻った熊楠は、ここで「アメリカへ行く」という決意を表明するのです。
熊楠にとっては自分が興味を持つ研究分野に集中できるわけですから、動かない理由がなかったのでしょう。

しかしこの決断がすぐに受け入れられることはありません。
当時は国外に行ってしまえばすぐに帰れない時代、話を聞いた親は大反対。
それでも決意が揺るがなかった熊楠は説得を続けるとついに親も認めることに。

晴れてアメリカ行きが決まった熊楠は東京朝日新聞(のちの朝日新聞社)で新聞記者を務めた杉村楚人冠(そじんかん)らと別離の会を開き横浜へ向かい、この年の12月22日に横浜からアメリカへ向けて出発、翌1887年(明治20年)にアメリカ・サンフランシスコへ到着。
ここから熊楠の新しい生活が始まります。

無事にアメリカ上陸を果たした熊楠は「パシフィック・ビジネス・カレッジ」、8月にはミシガン州農業大学(現在のミシガン州立大学)に入学。
アメリカでの研究生活を始めました。

しかしここで熊楠は事件を起こしてしまいます。
入学翌年になって授業に面白みを感じなくなった熊楠は学生5人とウイスキーを飲み、寄宿舎の廊下で爆睡しているところを校長が発見、事件を起こした結果熊楠は学校を放校処分に。
学校を離れた熊楠は植物採集や読書などを行い、シカゴの地衣類学者ウィリアム・カルキンスの下で標本作成を学ぶことになります。

フロリダ・キューバへ舞台を移す

学校を放校となった熊楠は1891年(明治24年)になると「フロリダ州に新種の植物が多くいる」との知らせを受け、フロリダ州・ジャクソンビルで調査を開始。
研究道具と護身用ピストルを所持して向かった熊楠は「ここなら思う存分研究できる」といったことを考えていたのでしょう。

ジャクソンビルで研究を始めた熊楠は、現地の中国人・江聖聡の食品店で住み込み勤務をしながら研究を続け、科学雑誌『ネイチャー』に発見した新種の緑藻(りょくそう)を発表、この緑藻は首都・ワシントンD.C.の国立博物館から譲ってほしいとの連絡が入ります。

新種を発見した熊楠の研究意欲はとどまるところを知らず、9月には南米・キューバへ最終旅行に出かけ「グァレクタ・クバーナ」と命名する石灰岩生地衣を発見。
キューバでは首都ハバナで公演中のサーカス団に所属していた日本人と遭遇、一座に加わりハイチ、ベネスエラ、ジャマイカといった南米の国々をサーカス団の一員となって巡ることに。
こうした旅の中でも採集活動を止めることはなく、熊楠の研究意欲がどれだけ熱いものかわかりますね。

更なる研究を続けた時代

更なる研究を続けた時代

image by iStockphoto

Junya Higashi

Writer:

これまで旅行に行った土地は鹿児島・霧島や韓国・ソウルなど。世界の土地や風習のことなど、自分の知らない世界を調べて見るのが好きです。旅行経験やライター活動で得た知識が、これから旅行を楽しむ人の役に立てば大変嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします!

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