【甲府城】史実とは違う修復?将軍を出し、戊辰戦争で争われた甲府城の歴史

甲州勝沼の戦いとは?

戊辰戦争で甲斐国が戦場になったのはなぜ?

戊辰戦争で甲斐国が戦場になったのはなぜ?

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そこから150年後の戊辰戦争の時に、甲州の地は戦場に。
慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦いで旧幕軍が敗れた後、江戸に戻った新選組は抗戦論を唱えますが、そのため旧幕軍の中で宙に浮いた状態に。

そして新政府軍が東海道と東山道に分かれて江戸へ進撃。
旧幕軍としては、東山道軍が中山道を進んで下諏訪から甲州街道に入り、甲府を通って江戸へ攻めてくるのを防がなければなりません。
そこで当時、恭順派で旧幕軍陸軍総裁だった勝海舟は新選組に甲府城を接収させて新政府軍を食い止めることを指示。

新選組に軍資金が支給され、近藤勇は10万石の禄高と若年寄格の地位が約束され、大名格となりますが、これは甲府城を接収し、新政府軍に勝つことが大前提。
抗戦論を主張してやっかいな新選組を、将軍徳川慶喜ら恭順派から分離し、江戸から追い払ってしまおうという勝の画策だったとも。

そして、甲府への進軍を前に新選組は隊名を「甲陽鎮撫隊」(こうようちんぶたい)と改名。
これは元若年寄の永井玄蕃(げんば)によって名付けられたもので、表向きは農民一揆や賊徒など甲斐国の治安を維持するために派遣されたという名目。
また新選組は薩摩や長州の藩士を京で斬りまくったので、新選組の名で新政府軍を刺激しないように、というものでした。

戦いの前の甲陽鎮撫隊は何をしていた?

戦いの前の甲陽鎮撫隊は何をしていた?

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甲陽鎮撫隊は甲府城を接収するため江戸を出立しますが、なんと、わずか10kmの内藤新宿に泊まり、遊郭で羽を伸ばしたといいます。
「監察以上は大名になれるのだ!」と浮かれ切っていたそう。
一介の武士が大名格になったのですから、浮かれるのもわかりますが、ここでしっかり戦っていれば、この後の戦いも大分違ったんじゃないかと思います。

次の日内藤新宿を出た彼らは近藤の出身地・上石原村を通過し、土方の出身地である日野を通ったときに周辺の人々が押しかけ、彼らの出世を祝って宴会が。

新政府軍の東山道鎮撫総督府軍は下諏訪から板垣退助を司令官とした分遣隊を甲府城に向けて発進。
甲陽鎮撫隊は日野宿で歓待を受け、春日隊などの参加で総勢200人と勢力拡大には成功しますが、進軍のスピードは遅く、甲陽鎮撫隊が甲州に入った頃、新政府軍先遣隊は甲府城に到着。
甲府城代が恭順したため、あっさりと甲府城は新政府軍の手に渡るのです。

もし、近藤勇が100人ほどの先遣隊を派遣していれば、状況は逆転したという話も。
そのため彼らは甲府城への進軍を断念し、甲府盆地の東に位置する勝沼に陣を張り、新政府軍を迎撃する手に出ます。







甲州勝沼の戦いの決着は?

甲州勝沼の戦いの決着は?

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しかし、甲府城陥落の知らせは甲陽鎮撫隊に新たに加わったにわか隊士に衝撃を与え、次々と戦線を離脱し、甲陽鎮撫隊の隊士は121人とほぼ半減。
近藤が勝つと100%信じていたのでこうなったのでしょうね。

土方歳三は「これでは戦争にならない」と見て江戸に馬を走らせますが、現実離れした幕府直参で構成された「菜っ葉隊」は腰が重く、これを拒否。
近藤は勝沼周辺の農民を募集しますが反応は鈍く、そして土佐藩兵を中心とした新政府軍が勝沼・柏尾(かしお)の丘陵地帯にいる甲陽鎮撫隊に攻撃を開始。

甲陽鎮撫隊には大砲が2門ありましたが、操作できる隊士が農民募集に回っていたため満足に砲撃できず。
これに対し板垣退助は新政府軍を3手に分け、3方から攻撃を開始。
左翼部隊が迂回して背後から攻め込んできて、隊士たちは近藤の制止を聞かず逃走を始め、ついに2時間で戦線は崩壊。

結局、新選組の隊士の死者は2人だけで、「いかに死闘がおこなわれなかったか」ということを証明するもの。
甲陽鎮撫隊の完敗で、新選組メンバーが大名になる夢はわずか一週間で破れ、この後近藤勇は流山で斬首され、土方歳三は会津や東北など各地を転戦しますが、箱館五稜郭で戦死。

京都で鮮やかな活躍をした新選組が夢破れて最期を遂げるのは儚いものですね。

そして、甲府城も明治維新後に廃城となり、主要な建物はほとんどが取り壊されました。

いろいろな歴史の面白さがある甲府城

甲府城は史実と違った修復が行われたため議論を呼んでいて、武田氏が滅亡した後徳川家康の家臣平岩親吉によって躑躅ヶ崎館の代わりに建てられ、浅野長政・幸長父子により「舞鶴城」と呼ばれます。

また将軍家光の弟忠長が甲府城に入った後、乱行により切腹を命じられ、その後には家宣と家継の2人の将軍を輩出。

また戊辰戦争では新政府軍と新撰組の間で甲州勝沼の戦いが起こり、大名格にされたことに浮かれた新撰組が完敗し、その後甲府城も明治維新で廃城。

私は西日本の人間で山梨県には行ったことがないのですが、調べてみるといろいろな事件や見所がたくさんあって面白かったです。
武田氏と一緒に甲府城や甲州の名所を訪ねてみると面白そうですね!

それでは、今回もここまで呼んで頂いてありがとうございます。

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