河原町三条ぐらいまで幅があった?産湯に使うほど美しい「鴨川」の歴史

鴨川には他にどんな逸話がある?

四条河原の芝居小屋で広まったお国歌舞伎とは?

四条河原の芝居小屋で広まったお国歌舞伎とは?

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四条河原(四条大橋から三条大橋あたりの河原)には古くから猿楽や田楽など大衆向けの芸能を演じる小屋があり、芝居小屋は江戸時代初期に設けられたそうですが、それ以前から五条河原にも種々の大衆芸能の小屋があったそうです。

寛文年間(1661〜1673)の護岸工事によって広げられた土地に祇園新地が生まれてのち、四条通り界隈が興行街になり、6軒もの芝居小屋が作られたそう。

将軍家によって保護された能などと違って、芝居は四条や五条の河原から始まったわけですが、その先駆けとなったのが、出雲の阿国(お国)歌舞伎踊りだと言われています。
最初京都にいた彼女があまり人気が出なくて各地を転々としたのち、京都へ帰ってきて五条河原で「ややこ踊」というものを見せ始めるのが慶長6年(1601年)、2年後に彼女の芸能を「歌舞伎踊」というようになりました。

その後五条から四条河原へ移っているのですが、阿国が風変わりな男装をして、茶屋の女の姿をした一座の男の役者とたわむれる好色的な要素を持った演し物が爆発的に受けて、彼女はいわばトップスターに躍り出、永く人気を保ち続けたのです。

南座の西側、川端通に面して、「阿国歌舞伎発祥地」と刻んだ自然石の小さい碑が建っているのは彼女を顕彰するためでしょう。

鴨川は三条河原町の辺りまであった?

鴨川は三条河原町の辺りまであった?

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鴨川の川幅は江戸時代以降、改修ごとに狭められていきました。
豊臣秀吉が都の周囲を御土居(おどい)で囲ったことはよく知られていますが、その東部分は今の御薗橋(みそのばし)の西詰めから鴨川沿いに沿って出町へ。
ここから現在の河原町通りと寺町通りの中間辺りを鴨川に沿って一直線に南下していました。

三条ー四条間についていえば、現在の新京極通りのやや東側に築かれていたわけですね。
というか、むしろそれが目的で、現在の河原町通りはその御土居の外、つまり河原。
通りの名前のまま河原だったのですね。
私が大学生時代に買い物していた辺りがもうすぐ河原だったとは何だか驚きです。

中世以来、三条河原は処刑場で、秀吉が甥の秀次の遺児や妻妾34名を処刑して河原に埋めたのは文禄4年(1595年)なので、その頃の川幅は広く現在の河原町三条辺りも河原でした。
そちらにまで河原が迫って、今とは比べものにならないほど広い川だったのですね。
だから「河原町」通りだったのでしょうか。
あと、少し場所が離れますが、石田三成が斬首されたのも六条河原でしたね。

三条から五条の西岸に現在とほぼ同じ位置に堤防が築かれたのは寛文年間(1661〜1672)でした。
御土居がが作られて70以上後になります。
堤防が築かれたといっても、今の遊歩道のようなものはなく、増水すると流れは岸のところまで広がりましたし、渇水期には雑草が生い茂った中洲と寄洲(よりす、河口や海岸などに、土砂が風波で吹き寄せられてできた州)の間を縫うようにして流れました。







義経と弁慶の話も鴨川の上?

義経と弁慶の話も鴨川の上?

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鴨川にまつわる話として有名なのが、鴨川の上にかかる五条橋の上での、牛若丸こと源義経と武蔵坊弁慶の対決。
おとぎ話という説もあるのですが、紹介してみます。
ちなみに、五条橋は今は幹線道路になっていますので、私としては何だか不思議な気持ちになってしまいます。

五条橋の上で武士を襲って太刀を集めていた弁慶は1000本の長刀(なぎなた)を奪い取るという願をかけ、999本に達し、1000本達成を祈った夜に妙な笛の音がするので近づくと、黄金づくりの太刀を持つ美少年(義経)でした。
ちょうど1000本の太刀に達しようとするときに都合よく義経が現れるというのが、たしかに作り話っぽいですが、私はこの話が好きなので良いと思います。

弁慶は襲いかかりますが、義経はひらりひらりと自在に飛び回って攻撃を避けたため、その夜は諦めました。
義経の身のこなしの軽さは壇ノ浦の戦いでの「八艘飛び」でも有名ですよね。

翌日、清水寺で出会った2人はまた斬り合い、結局は義経が弁慶を組み伏せ、圧倒された弁慶は主従の契りを結び、以後、義経の忠実な家来として大活躍するのですよね。

また、幕末に長州・土佐の尊王攘夷志士が新選組に襲撃された池田屋も三条木屋町でこの近く。
坂本龍馬が暗殺された近江屋もこの近くで石碑が残っていますね。
またここでは触れられませんでしたが、鴨川の風景はたくさんの作家に作品にされたいますね。

護岸工事で狭くなり、橋や河原ごとに歴史のある鴨川

京都の川は平安京に遷都後たびたび洪水に襲われ、高い治水技術を持った秦氏が整備。

鴨川の水は産湯に使われるほど綺麗で水質も良く、三条大橋をかけて護岸工事を行ったのは豊臣秀吉。
この橋は明治まで使われ、昭和にも架け替えられました。

また明治時代に作られた四条大橋は京都で最初の鉄橋で、八坂神社が資金調達をし、足りなかった分を京都から借りたため通行料を取り、「銭取橋」とも呼ばれました。

また護岸工事の前は三条河原町まで川幅があり、牛若丸と弁慶の話など、たくさんの逸話も。

鴨川の歴史について触れましたが、何だか私もまた三条大橋の辺りに行きたくなり、次に京都に行くときは行こうと思います。
付近で行くのはマニアックなレコード屋さんとかかもそれませんが。

それでは、読んでくださってありがとうございます!

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