電話を世に広めた「アレクサンダー・グラハム・ベル」とはどのような人物?

世界に広がる電話の影響

世界に広がる電話の影響

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電話の開発に成功したグラハムは次なる作業に取り掛かります。
1876年にはアメリカ・フィラデルフィアで開催された「フィラデルフィア万国博覧会」に登場し電話を公開、国の皇帝など世界の著名人に電話の機能を紹介することに。
このあとヴィクトリア女王からも高い評価を受けることになり、王室の離宮「オズボーン・ハウス」にも招待されることに。
国の女王を驚かせるところまで来たのです。

電話の機能を証明したグラハムは1877年に「ベル電話会社」を設立、その後設立から10年間で電話使用数は15万台になり、1879年にはエジソンが開発した「カーボンマイク」の特許を取得して長距離電話も可能に。
1915年1月にはニューヨークにある「AT&T」本社とワトソンがいるカリフォルニア州・サンフランシスコをつなぐ「大陸間横断通話」が実現。
ここまで来れば電話の機能を疑う人はいないでしょう、グラハム長年の努力はついに実ったのです。

衰えぬ研究意欲・晩年

衰えぬ研究意欲・晩年

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電話の開発という大きな偉業を成し遂げたグラハムですが、彼の開発意欲はとどまるところを知りません。
その後も光を使って音や声を送る「フォトフォン」や体内に埋め込まれた金属を発見する「金属探知機(1881年)」などの開発にかかわりました。

1906年には水中翼の基本原理を解説した「サイエンティフィック・アメリカン誌」の記事を見て水中翼船の開発を計画。
世界旅行に出かけて実験を行ったのちに水中翼船「HD-4」の開発に成功。
第1次世界大戦後には改良報告書をアメリカ海軍に提出、1919年9月9日には当時の水上世界記録である時速114kmを記録することに。
彼ほどの存在になれば「過去の栄光」で生きていくことも十分できるでしょうが、そうしなかったのは彼の研究に対する貪欲さ、「発明家としてのプライド」が許さなかったからなのかもしれませんね。

こうして発明を続けたグラハムは1922年8月2日、長い闘病生活の末75年の生涯を閉じることに。
電話という人間文化最大級の発明を成し遂げ、最晩年まで他分野の研究を続けた「研究おたく」であったのですね。

奇跡の人ヘレン・ケラーとの交流

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伝記にも多く取り上げられ「奇跡の人」と呼ばれることも多いヘレン・ケラー。
1880年にアメリカ・アラバマ州で生まれたヘレンは1歳半のときに「しょう紅熱(子どもに多いとされる発疹性伝染病)」と考えられる病気で聴力と視覚を失うことに。

そんなヘレンがグラハムと出会ったのはグラハムが1872年に「School of Vocal Physiology and Mechanics of Speech」を開校したころ。
ヘレンの父親がグラハムに教育の相談をしようと訪れたことがきっかけで、このときにグラハムがヘレンに紹介した人物が家庭教師となるとなるアニー・サリバン(サリバン先生)でした。
ヘレンはここからサリバン先生とともに約50年を過ごすこととなり、ヘレンの人生に「なくてはならない」存在となっていきます。

この交流についてヘレンは後年「グラハム先生は父のように接してくれた」と感謝の気持ちを語っています。
先生を紹介したグラハムがいなければ、彼女の人生は全く違うものになっていたでしょうからね。







自分が「やりたいこと」を見つける能力があった

今回紹介したアレクサンダー・グラハム・ベルは自分が関心を持つ分野、家族とのつながりから「本当にやりたいこと」を見つけ出し、大偉業である「電話の開発」につなげてきました。
こうして見てみると「周辺環境とかかわりながら、自分の活躍する場所を見つける」能力は現代に必要なものであり、そこから「自分がやりたいことの見つけ方」を学んでみても良いですね。
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