メジャーリーグ史に名を残す悲運のスラッガー「ルー・ゲーリッグ」とはどのような人物?

史上最年少での殿堂入り・晩年

史上最年少での殿堂入り・晩年

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引退したゲーリッグはヤンキースから経済的に困らないようにフロント入りを確約(のちに取り消しされる)、1939年の年俸全額支払いなど手厚いバックアップを受けることに。
ゲーリッグが使用していた背番号「4」は今後誰も付けることのない番号に指定され、これは野球界で初めての「永久欠番」に。

1939年10月からはラガーディアに請われて「仮釈放委員会委員」に就任、死の1ヶ月前まで出勤したゲーリッグの仕事ぶりはラガーディアが満足するほど良いものでしたが、病気の信仰は止まらず次第に寝たきり状態に。

同じ年には当時史上最年少となる36歳で野球殿堂入りを果たしますが、これはゲーリッグ引退の経緯などを考慮した「全米野球記者協会(BBWAA)」が特例で投票を実施、実現したものでした(通常は「メジャーリーグで10年以上プレーすること」、「現役引退から5年以上経過している」などの条件がある)。
殿堂入りした際は式典に参加するになっていますが、ゲーリッグは病気の進行もあり参加はかなわず。

そして1941年6月2日、不治の病と闘い続けたゲーリッグは37歳の若さで帰らぬ人に。
ゲーリッグの死に対しラガーディア市長は市内全域に半旗を掲げるよう命令、6月4日に行われた葬儀ではゲーリッグの亡骸を一般公開、ファンやルースが最後の別れを告げにきました。

彼の人生は死の翌年1942年に公開されたサム・ウッド監督の伝記映画『打撃王(The Pride of the Yankees)』で取り上げられ、ゲーリッグ役をゲイリー・クーパーが演じ、ルースをはじめとしたヤンキース時代のチームメートも本人役で出演。
クーパーの演技はゲーリッグの未亡人エレノアが絶賛したと言われており、1943年の第15回アカデミー賞では11部門でノミネート。
人々はゲーリッグのことを記憶にとどめておきたかったのでしょうね。

死後の影響力も絶大

球場内外での優れた精神や人柄を称える賞が彼の名前を取った「ルー・ゲーリッグ賞」として1955年に制定、1999年には「メジャーリーグベースボール・オールセンチュリー・チーム」で全選手中トップの得票数を獲得するなど、死後もその影響力は絶大。
ベーブ・ルースと違い日本の伝記で取り上げられることは多くありませんが、ゲーリッグの人生もぜひ注目してみたいところですね。
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