プリンス・エドワード島の歴史はやっぱり穏やか。「波間に浮かぶゆりかご」と呼ばれる、カナダ自治領発祥の地

『赤毛のアン』の舞台としても「世界一美しい島」としても、観光客を魅了するプリンス・エドワード島!切り妻屋根のカラフルな民家や田舎の農村風景が広がる美しいカナダの島って、どんな歴史があるのか興味が湧きませんか?今回は、プリンス・エドワード島の歴史を垣間見たいと思います。


まるで、絵本の中に迷い込んだようなプリンス・エドワード島ってどんなところ?

まるで、絵本の中に迷い込んだようなプリンス・エドワード島ってどんなところ?

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プリンス・エドワード島は、カナダの東端に位置する、L・M・モンゴメリの小説『赤毛のアン』の舞台となった、波間に浮かぶゆりかごと呼ばれる美しい島です。
島に張り巡らされた赤い土のカントリーロードを歩くと、幾重にも重なる美しい丘、切り妻屋根のカラフルな民家と納屋、白くペイントされた教会が点在し、何か不思議な魅力を感じます。
波音が心地よい美しい砂浜やパッチワークのようと称される田園風景は、一度見たら忘れられない思い出に残ること間違いなし!

天真爛漫で空想好きな「アン・シャーリー」が、成長していく姿を描いた『赤毛のアン』の舞台の素晴らしさは、一言では語りつくせません。
モンゴメリゆかりの地を巡ったり、美しい島の風景に酔いしれたり、築100年以上の格式あるB&Bに泊まるのも、プリンス・エドワード島を満喫する方法ですね!カナダはフランスとイギリスに占領された過去を持ち、カナダ自治領発祥の地という重要な歴史も持っています。

プリンス・エドワード島の始まり

プリンス・エドワード島の始まり

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プリンス・エドワード島は、セント・ローレンス湾に浮かぶ、翼を広げたような形をした、東西に約200km延びる長細い小さな島です。
カナダにある4つの州のひとつに数えられる、アトランティック・カナダは、初めてヨーロッパ人が入植した地で、イギリスとフランスの抗争やカナダ連邦の誕生と歴史の中心的存在といっても過言ではありません。

北米に先住民のインディアンが住み始めたのが、約2万年前といわれています。
セント・ローレンス湾から氷河が消え去った約1万年前にアジア大陸からアラスカ経由で、やってきたイヌイットが住んでいたようです。
この人たちが、この島の先住民ミクマック族となりました。
昔、プリンス・エドワード島はカナダ大陸と陸続きで、約7500年前に起こった海面上昇によって、ノーサンバーランド海峡が誕生し、完全な島となったのです。
ミクマック族は、この海に浮かぶ美しい島を、「アベグウェイト(波の上のゆりかご)」と名付けました。

ヨーロッパの入植

ヨーロッパの入植

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アトランティック・カナダに初めてやってきたヨーロッパ人は、ヴァイキングでした。
彼らは、ニューファンドランド島の北端に辿りついたのです。
ここには北米唯一のヴァイキングが入植した遺跡が残っています。
現在はランス・オ・ネドゥウ国立歴史公園となり、カナダ発のユネスコ世界遺産となっています。
1497年ニューファンドランド島は、イギリス人の入植が本格的に始まりました。

イギリスの次はフランスのジャック・カルティエが、カナダ本土にあるガスペ半島を発見しました。
半島の東端で、フランス国王の名により、フランスの植民地(ヌーヴェル・フランス)との宣言をしました。
この時に、プリンス・エドワード島は初めてヨーロッパに発見されています。
ジャック・カルティエは、3度の北米探険の中で、初めてセント・ローレンス湾にヨーロッパ出身者として到達した人物で、「カナダ」と名付けた人物としても知られています。

ジャック・カルティエも認めた美しい島

ジャック・カルティエも認めた美しい島

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ジャック・カルティエは、ニューファンドランド島北東部を探険し、ベルアイル海峡を抜けて、南西にあるマドレーヌ諸島を経由。
セント・ローレンス湾を横断して、プリンス・エドワード島を発見しました。
その後で、先ほどご紹介した、ガスペ半島に辿りつき、現在のガスペ市に十字架を立てフランス領有宣言をしたようです。

この時、カルティエは、プリンス・エドワード島を見て、「草原と木々に満ちた、なだらかで美しい大地がどこまでも見渡せる」と称賛し、「サン・ジャン島」と名付けました。
カルティエが去った後は、この地域にフランス人の入植はしばらくありませんでした。

英仏二大国に目を付けられた地

英仏二大国に目を付けられた地

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カナダにはヨーロッパにとって、2つの魅力がありました。
1つはフランスが目を付けた毛皮。
1580年ごろフランスの交易会社が訪れるようになり、1605年にノヴァ・スコシア半島にカナダ初の植民地を作りました。
もうひとつは、ニューファンドランド島が豊かな漁場だったということです。
ここに目を付けたのが、イギリスでした。

ここから、プリンス・エドワード島を含むアトランティック・カナダは、英仏二大国の威厳をかけた争いの渦に巻き込まれていきます。
1720年ごろに、イギリスの影響力が弱まりました。
ここぞといわんばかりにフランスは、プリンス・エドワード島のシャーロットタウン近くに、ポート・ラ・ジョイという首都を築きました。
ここは後に、フォート・アマーストとなり、重要な基地的な役割を果たすようになります。

フランスとイギリスの間で揺れ動く島

フランスとイギリスの間で揺れ動く島

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しかし、イギリスも黙っていません。
1745年には、ニューイングランド軍と手を組み、フランスの主要土地を制圧していき、フランスが領有していた、サン・ジョン島を武力で奪い取りました。
しかし、イギリスはプリンス・エドワード島にそこまでの魅力を感じなかったようで、たった3年でインドの一都市と交換でフランスに返還しました。

しかし、しつこいイギリス、今度は1758年に、フレンチ・インディアン戦争(7年戦争)で、またまた島を武力で占領し、今度は英語式にセント・ジョンと改名しました。
この時イギリスは、島に移民していたフランス人とフランス南部から入植したアカディアンと呼ばれる人々の約5000人を島から追放しました。
運よく追放を逃れたフランス系住民は、300人ほどしかいませんでした。

英仏戦争の終焉

英仏戦争の終焉

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1759年にフランスは、ケベック・シティ(カナダでフランス語を話す唯一の地)のアブラハム平原の戦いに敗れ、カナダの支配権を完全に失います。
威厳をかけた決戦!1762年に、北米最後の両国の戦いが行われました。
セント・ジョンズが戦地になり、フランスはまたもや敗北。
翌年にはパリ条約を締結し、これで完全に英仏戦争は終結となりました。

フランスは正式に、ケベックとプリンス・エドワード島、ケープ・ブレトン島は、イギリスに譲渡されたのです。
プリンス・エドワード島は、ノヴァ・スコシアにイギリスの植民地として統合されました。
67区画に分割され少数の地主によって統治されますが、1769年にノヴァ・スコシアを離れ独自の道を進むようになります。

Writer:

世界遺産ブームをきっかけに歴史に目覚めてから、国や城、庭園などの成り立ちに魅了された主婦です。何だろう?と思ったことを調べて、皆さんにお伝えすることで気持ちを共有できたら幸せだな~と感じながら仕事をしています。ちょっとマニアックな歴史記事ですが、軽い気持ちで触れてみてくださいね!

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