【イラン・イラク戦争】真っ直ぐ続く不自然な国境線が、いまも戦争の歴史を語っています

現在は太陽光や風力発電、ハイブリットカーの流通などが普及し石油が使われることが少なくなりましたが、今をもっても石油は私たちの生活に欠かせないものです。今回は、石油輸出の要衝「シャトル・アラブ川の河口付近の領有問題」を巡り戦争にまで発展した、イラン・イラク戦争の歴史に触れてみたいと思います。

イラン・イラク戦争はなぜ起こったの?

イラン・イラク戦争はなぜ起こったの?

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1980年にイラク軍がイランを攻撃したことが、イラン・イラク戦争の始まりです。
1979年にイランでは貧富の差によりイラン革命が起こってしまいました。
この革命でイランはアメリカの資本を流入することにより、急速に近代化へ向かったのです。
そして、「白色革命」という農地革命、森林国有化、労働者への利益配分など6項目のプログラムを国民投票にかけ断行することになりました。
これによる軋轢と、豊かな石油からの利益は特権階級にのみ流れていき、一般市民は恩恵に預かることができませんでした。
長年の感情もあり政府を憎むようになっていき、「古き生活を取り戻したい」とイスラム原理主義が台頭したのです。

不満はシーア派のホメイニを始め、法学者や学生などを巻き込んで、反政府運動となりイラン革命へと発展しました。
イランの国内の混乱は国際的にも孤立の道を歩んで行くことになります。
これを見ていたイラク軍の大統領サダム・フセインは、「今だ!」と言わんばかりに、イランを攻撃し戦争を始めたのです。
だって、イランとイラクはお隣通しの国で、その間を流れる「シャトル・アラブ川」における国境がはっきりしておらず領有権を巡って昔から争っていました。
それはそうでしょう。
産油地帯であるため、国境の在り方は国運を揺るがすほどのことなんですもの。
他にも、イランのイスラム主義と、イラクの現実主義の戦いだったことを表しているという人もいます。

イラク優勢で始まった戦争

イラク優勢で始まった戦争

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イラン革命の結果、厳しく弾圧され革命軍が負けたのです。
指導者のホメイニは逮捕後国外追放となりました。
厳格なシーア派の宗教勢力が一つに纏まったイランに対し、周辺諸国は恐れを抱いていました。
ここで、サダム・フセインが、「イランを討伐するから力を貸して」と声をあげたことにより、危機感を抱いていた諸国は、イラクになびいたのです。
これで資金が集まったイラクはアメリカやソ連から兵器を大量に購入しました。
西ドイツは化学兵器を製造できるプラントを建設。
着実に力をつけていったのです。

周りの諸国が恐れおののき、イラクについたことは納得できたのですが、「イランと資本を結んでいたアメリカがどうしてイラク側なの?」って思いませんか?実はイラン革命で親米政権が倒れており、反米国家と化していました。
アメリカは逆にイラクを自国に引き入れ、今までイランがしてきた役割を担わせようとの目論見があったのです。
アメリカに大切なのは石油。
イランが勝ってもイラクが勝っても問題ありません。
でも、反米感情を持っているイランが、アメリカにとって邪魔だったのは確かです。
何となく、イランが孤立してしまっていることが見えてきませんか?

奇妙な状態に陥っているイラン

奇妙な状態に陥っているイラン

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でも、イランがたった独りぼっちというわけではありませんでした。
イラクの天敵で直接的な脅威にさらされる恐れがあるイスラエルがイランを支援。
イラン革命の起因を作ったアメリカは、イスラエルを通してイランを援助するという奇妙な構図ができました。
最近お騒がせで注目を浴びている国際的孤立組の北朝鮮もイランに接近してきたのです。
イランへの援助はそれだけではありません。
反イラクの立場からシリアが、反ヨーロッパのリビアもイラン支援に周り、国際的に複雑な関係を造り上げたのです。
裏をかくとかなり面白い面も見えてきますね。

今が好機だ!イランを攻撃せよ

今が好機だ!イランを攻撃せよ

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1980年9月22日に、イラクはイランに対し全面攻撃を始めました。
イラク空軍がイラン空軍基地を襲撃し、イランは至る所で、大打撃を被ったのです。
しかし、この攻撃は反対に、イラン軍を一致団結させることになりました。
イラクは短期決戦で終わらせようと思っていたのですが、結構イランは強かったんです。
しかも、今度はイラクの方に内乱が起きてしまいました。
内乱が起きたらイラン戦争なんてやってる場合じゃない!早くイラン戦争を終結させて反乱を止めなけりゃ…。
でも、イランは停戦を受け入れませんでした。

イランはイスラエルからアメリカ製の武器を入手。
いいタイミングで、シリアやリビアが参戦してくれました。
しかし、非情にもイラクはイランに毒ガスを使用するんです。
でも、現在起きているシーア派のテロ行動を見てもお分かりの様に、イランの若者たちは宗教の教えもあり、全く死を怖がりません。
それどころか、自分から地雷を踏んで犠牲になっても前進あるのみ。
突破口を切り開いていくのです。
日本人たちもこのイラン・イラク戦争を「イラ・イラ戦争」と呼ぶほど長期化しました。
日本人って短気だったっけ?







形成が不利になっていくイラク

形成が不利になっていくイラク

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イラクは1981年6月7日にイスラエルから攻撃を受けました。
バグダード郊外で建設が始まっていた、オシラク原子炉を攻撃したのです。
これって、イラン戦争に関係ある?まだ建設中でしたが、イラクの核開発はイスラエルにとって脅威でした。
「ヤバヤバ!後で我が国に使われたら困る。
今壊しとこ!」って感じでしょうか。

それに続く様にシリアが、「アメリカってイスラエル経由でイランに武器を売ってます!」って暴露する始末。
今度はアメリカが、「ヤバヤバ!アメリカだってイランに民間人の人質を取られて脅されているんだぞ!」と反撃。
今、どことどこが戦争しているの?何がなんだか分からない!という状態に陥りました。
ここで手を差し伸べたのが、国連です。
両国ともいい加減にしなさい!経済制裁するぞ!と言わんがばかりに、圧力をかけました。

まだまだ続く、イラン・イラク戦争

まだまだ続く、イラン・イラク戦争

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国連の経済制裁なんて何のその。
死ぬことなんて怖くない、我々はイランだぞ!イラクは和平を求めたけど、イランはペルシャ湾に、大量の機雷を撒いちゃったのです。
せっかく歩み寄りを見せていたイラクですが、これは許せんとばかりにスカッドミサイルで、イランを攻撃しました。
イランだって負けてません。
打ち返しちゃったのです。

最終的に、集結させたのはアメリカでした。
アメリカが両国の戦争を終わらせるためにやったことは、ペルシャ湾にいたアメリカの巡洋艦がイランのエアバスを攻撃し、イランは停戦を否応もなく受け入れたのです。
あっけない終わり方でしたが、8年にも及ぶ大戦争はこれにて一件落着となりました。

戦後の両国

戦後の両国

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イラクはやっとこれから、アメリカとうまくやっていこうと終戦を喜んでいました。
しかし、残念なことに、アメリカは強くなりすぎたイラクが今度は邪魔で仕方なくなってしまったのです。
だってこの時のイラクって、世界第5位の軍事力を持っていたんですもの。
アメリカによる再建支援を受けようとしたイラクは、それを諦めざるを終えませんでした。
さらに追い打ちをかけるように湾岸諸国から「戦争の時に支援したお金返して!」と言われたのです。
イラクはてっきり支援=もらったものと考えていたので大弱りでした。

この戦争で両国の犠牲者は100万人に上ったようです。
しかし、イランはこの戦争の目標である「生き残る」を達成したという面では、事実上成功したとえいえるのではないでしょうか?しかも、戦争中に出産を推奨しており、人口は着実に増加しました。
欧米諸国との緊張が緩和し、中東諸国の中では治安が良いことからも、現在は観光においても注目の国となっています。
なんだか、戦争に負けたけど明暗が分かれた気がします。
だって、イラクはここからフセイン大統領の野望からなのか、湾岸戦争へと向かっていったんですもの。

アメリカは、イランとイラクを恐れた中東諸国の一部がアメリカに取り入る形となり、中東での発言力を増しており状況はいい方向へと向かいました。

次のページでは『イランとイラクは、国境という大きな問題に直面し、大きな大戦争をやってのけた国です』を掲載!
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