観光前に知っておきたいエルサレムの歴史。なぜ3宗教の聖地なの?

中東の都市、聖地エルサレム。イスラエルが首都と主張していますが、各国の大使館は置かれていません。そしてエルサレムには、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の遺跡がたちならび、おおくの信者と観光客を呼びよせています。なぜエルサレムは3宗教の聖地となったのでしょうか?その歴史を、各宗教の特徴もふまえながら、ひもといてみましょう。

エルサレムとユダヤ教はこうして生まれた

エルサレムとユダヤ教はこうして生まれた

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「エルサレム」の語源

地中海と死海とヨルダン川にはさまれた地域は、パレスチナ地方と呼ばれ、はるか昔からいろいろな部族といろいろな人々が住んでいました。

そのうちのひとり、アブラハムという初老の男はある日、神から呼びかけられて、幼い息子を生贄にささげるようにと言われました。
アブラハムは神のお告げどおり、神の指定したサラムという地の丘の上に祭壇をつくり、息子に向かって刀をふりおろそうとしました。
そのとき神がアブラハムに呼びかけて、「いまこそわたしは、君が神を畏れる者であることを知った」と言い、息子の代わりに、生贄用の羊をアブラハムに渡しました。
そして神はアブラハムに、お前とお前の子孫にこの地を与えると告げました。

やがてアブラハムの子孫たちがユダヤ人となりました。
ユダヤ人たちの聖典によれば、このアブラハムこそ、唯一神ヤハウェと最初に契約した人間です。
そしてユダヤ人たちは、アブラハムが息子をささげようとした地を「(神が)準備したサラム」、かれらの言葉で「イルエ・サラム」と呼びました。
これがエルサレムの語源です。
なお、語源には諸説あって、「サラム神の礎」の意味で「エル・サラム」から来たのだという説もあります。

ちなみに、古代ユダヤの言葉には子音しかないので、かれらの神の名は「YHVH」が正しい表記です。
母音のつけ方によって「ヤハウェ」と呼んだり「エホバ」になったりします。

ダビデ・ソロモン王と神殿の丘

時代がくだると、ユダヤ人たちはエジプト王朝の支配をうけ、エジプトで奴隷生活を送っていました。
紀元前13世紀、ユダヤ人たちはモーセという指導者にひきいられて、エジプト脱出をこころみます。
途中モーセは海を割ったり神のお告げを聞いたりしながら、ユダヤ人たちをみちびいて、ついに神がアブラハムの子孫に与えた約束の土地、パレスチナに到着します。

ユダヤ人たちはパレスチナにいた人々を平定して、定住します。
そして紀元前1000年ころ、ダビデという英雄があらわれて、12部族にわかれていたユダヤ人たちを統一し、パレスチナ一帯に王国をつくりあげました。
ダビデ王は首都をエルサレムにさだめ、エルサレムは王国の首都として繁栄しました。
この時代の遺跡は「ダビデの町国立公園」としていまものこっています。
またダビデ王の墓はシオン山にあります。

つづくソロモン王の時代に、王国は最盛期をむかえます。
ソロモン王は、アブラハムが息子を神にささげようとした丘の上に神殿を築きました。
この場所がエルサレムの「神殿の丘」です。
しかしソロモン王が死ぬと、王国は南北に分裂します。
北の王国は前722年に滅亡、そして南のユダ王国も前586年、バビロニアによってほろぼされます。

バビロニア国王のネブカドネザル2世は、ユダヤ人たちをバビロニアの首都バビロンに連行します。
異国の地で捕らわれの身となったユダヤ人たちは、たとえ異国に住もうともみずからのアイデンティティをたもつため、自分たちの宗教を見直し、改革します。
こうして、ユダヤ教が誕生しました。

エルサレムがユダヤ教の聖地となったワケ

エルサレムがユダヤ教の聖地となったワケ

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ユダヤ教の特徴、オリーブ山、ハスモン朝

ユダヤ教を整備するにあたって、ユダヤ人たちはまず「タナハ」とよばれる聖典をつくりました。
アブラハムやモーセなど神と契約した者を預言者と呼び、かれらの言行を記したり、ユダヤ人のルーツを書いたりしました。

紀元前538年、バビロンから解放されたユダヤ人たちはパレスチナにもどり、破壊されていたエルサレムの神殿を再建します。
この神殿を中心として、ユダヤ教団がつくられました。
教団はユダヤ人が守るべき戒律をこまかく定めたり、神殿に奉納をおさめるよう義務づけたりしました。
そして神ヤハウェを信じ戒律を守る人だけが、最後の審判の日に救われると説きました。
ヤハウェはその日、エルサレムのちかくにあるオリーブ山に降り立つと信じられたため、この山にはユダヤ人墓地がつくられました。

その後、ユダヤ人たちはいろいろな王朝に支配されますが、自分たちのアイデンティティをまもるため、かたくなにユダヤ教を信じました。
またユダヤ人は商売上手だったため、地中海各地の都市に移り住んで、商工業や金融業で成功する者もおおくあらわれました。
かれらもまた、異国の地には染まらず、ユダヤ教を信じ、ユダヤ人だけのコミュニティをつくって暮らしました。

前167年には、当時の支配者だったセレウコス朝シリアの王がエルサレムの神殿で異教の神を祭ったため、ユダヤ人たちは反乱をおこします。
21年後に独立を勝ちとったユダヤ人たちはパレスチナ一帯にハスモン朝という王国をつくりました。
しかしそこに、地中海の覇者になりつつあったローマがせまってきます。

ヘロデ王、離散、「嘆きの壁」

前63年、ローマはハスモン朝をほろぼし、ここからパレスチナもローマの属州となります。
ローマは他民族に対してとても寛容で、ユダヤ人にもユダヤ教の信仰や、ローマ法よりもユダヤ教の戒律を優先することや、軍務の免除までゆるしました。
こうしてローマ支配のもと、エルサレムはユダヤ教の中心地として発展します。

とくに前37年からユダヤ社会のトップになったヘロデ王のもとで、エルサレムはますます繁栄します。
神殿を大改修して壁もつくったり、ダビデの塔をつくったりと、いまにのこるおおくの建造物がつくられました。
しかしユダヤ人たちはローマ社会にもやはり溶けこみませんでした。
異質なユダヤ人たちを差別する風潮がしだいに高まり、ユダヤ人たちもまた、ローマ社会に対して反発をつよめていきます。

66年、ユダヤ教徒の過激派が反乱をおこすと、ローマは大軍をおこして鎮圧します。
この戦闘のさい、エルサレムの神殿は西壁をのこして全焼しました。
その後もユダヤ教徒はたびたび反乱をおこしますが、134年に最後の反乱を鎮圧したローマ皇帝ハドリアヌスは、これ以降、ユダヤ教徒のエルサレム立入禁止を命じます。
こうしてユダヤ人たちは世界中に離散させられました。

3世紀にはエルサレム立入がゆるされますが、神殿の丘へは出入り禁止でした。
ユダヤ人たちはかつての神殿をしのび、唯一のこった西壁の前で祈りをささげました。
これが「嘆きの壁」で、いまでもユダヤ信仰の中心となっています。

キリスト教の誕生と、エルサレムがやはり聖地となったワケ

キリスト教の誕生と、エルサレムがやはり聖地となったワケ

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聖アンナ教会、ゲッセマネの園、鶏鳴教会

時をすこしさかのぼった、紀元前1世紀のエルサレム。
ここに暮らすアンナというユダヤ人から、娘マリアが生まれました。
やがて成長したマリアはある青年と婚約しますが、マリアは処女のまま子を宿します。
そして生まれた子どもはイエスと、名づけられました。

イエスは成長すると、パレスチナ一帯で伝道をはじめ、それまでのユダヤ教を批判していきます。
とくにユダヤ教団のエリート層をつよく非難し、逆に身体障害者や貧しい人々こそ救われると説きました。
またイエスは病を治すなど数々の奇跡もおこないました。
イエスの祖母アンナをまつった「聖アンナ教会」には、イエスが病人を癒したとされる池ものこっています。

やがてイエスはおおくの人々から慕われるようになり、「救世主(キリスト)」と呼ばれます。
しかしイエスをよくおもわないユダヤ教団は、彼を死刑にすると決めます。
死期を悟ったイエスはエルサレムで弟子たちと最後の晩餐をし、それからオリーブ山のふもと、ゲッセマネの園で最後の夜をすごします。
ちなみにこの園には、イエスが座ったとされる岩をまつった「万国民の教会」があります。

翌朝、イエスはユダヤ祭司のもとへ連行されて、裁判をうけます。
弟子たちもついていきましたが、そのなかのひとりペテロは、自分にまで罪がおよぶことをおそれ、イエスなど知らないと三度ウソをつきます。
その直後、鶏が鳴きました。
イエスが裁判をうけた祭司の邸宅はいま「鶏鳴教会」としてエルサレム市内にのこっています。

ヴィア=ドロローサ(苦難の道)と「聖墳墓教会」

死刑判決をうけたイエスは、ローマの刑法にしたがい、処刑場所まで十字架を背負って歩かされました。
ゴルゴタの丘という処刑場所につくと、イエスは十字架に張りつけにされ、長い苦しみの果てに殺されました。
このイエスが歩いた道は「ヴィア=ドロローサ(苦難の道)」とよばれ、エルサレムの中心にのこっています。

イエスの死後は、かれの弟子たちがイエスの教えを伝えていきます。
とくにユダヤ人の離散以後には、イエスの教えを信じる者たちが地中海各地で教えを広めたため、しだいに浸透していきます。
こうして、ユダヤ教からわかれたイエスの教えは、キリスト教として成立したのです。

キリスト教徒はユダヤ教徒とおなじく、ローマ社会に染まらなかったので、たびたび迫害をうけました。
ネロやディオクレティアヌスといったローマ皇帝たちもキリスト教徒を追いつめ、拷問し、殺したりしました。
それでもキリスト教徒は信仰をすてず、地道に布教活動をおこなったため、4世紀には地中海中にキリスト教徒がいるようになりました。

301年、黒海の南東にあるアルメニア王国が史上はじめてキリスト教を国教とします。
そして313年には、ローマ皇帝コンスタンティヌスが帝国内でのキリスト教を公認しました。
このコンスタンティヌスの母は熱心なキリスト教徒だったらしく、320年にはエルサレムを訪れて、イエスの墓を見つけだしたといわれています。
この場所に「聖墳墓教会」が建てられました。
そしてこれ以降エルサレムは、キリスト教にとっても聖地となったのでした。

キリスト教の特徴と、ユダヤ教との関係

キリスト教の特徴と、ユダヤ教との関係

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新約聖書の成立、死海文書

キリスト教はユダヤ教とちがって、戒律もゆるやかで、布教にも熱心、なにより身分や民族に関係なくだれでも入信することができました。
それでキリスト教は地域や民族をこえて広がりました。
キリスト教が「世界宗教」といわれる理由もここにあります。

ただ、いろいろな人々がキリスト教を信じるようになると、教義をまとめるための聖典が必要になりました。
そこで生まれたのが「新約聖書」。
「新約」とはイエス=キリストが神と新たに契約した、という意味です。
そしてアブラハムやモーセたちの契約を記した「タナハ」は、イエス以前の契約という意味で「旧約聖書」と、キリスト教徒からは呼ばれるようになりました。

はじめのうちは、いろいろな説や記録が新約聖書に載っていましたが、会議をかさねるうちに一本化されていきました。
たとえば、イエスは神か人間かが議論され、多数決で神と決まりました。
またイエスは神と人間の両性をもっているかどうかが議論され、多数決でもってると決まりました。
否決された少数派にはアルメニア教会などがあります。

ちなみに、旧約聖書でもこうした議論はあったようで、1947年に死海近郊で発見された「死海文書」には、いまにのこる旧約聖書とはちがった記述がたくさんみられます。
死海文書はエルサレムのイスラエル博物館で見ることができます。

争いのたえない聖地エルサレム

395年にローマ帝国が東西に分裂すると、パレスチナ一帯は東ローマ帝国の管轄になりました。
この間もエルサレムはキリスト教の聖地として、おおくのキリスト教徒がおとずれました。

このころにはキリスト教も教義のちがいによって、いくつかの宗派にわかれていました。
西ヨーロッパのローマ=カトリック教会、東ヨーロッパのギリシア正教会、アルメニアのアルメニア教会などです。
しかしどんな宗派も、キリストの墓である聖墳墓教会は崇めていたので、いろいろな宗派のキリスト教徒が教会を訪れ、そこで争いがおこることもありました。
いまでも宗派間の争いは絶えず、2008年にはギリシア正教会の司祭とアルメニア人とが聖墳墓教会のなかで乱闘をおこしています。

また、キリスト教徒とユダヤ教徒とのあいだでも争いはたえませんでした。
キリスト教徒はユダヤ教徒を、イエスを殺した敵と思っていましたし、ユダヤ教徒のほうでも、キリスト教は本当の教えを誤解したニセモノだと思っていました。
ただキリスト教のほうが帝国の後ろ盾をもっていたので、ユダヤ教徒たちはさまざまな場面で迫害を受けました。
ユダヤへの迫害がナチス・ドイツだけでないことは、エルサレムの「ヤド=ヴァシェム」、通称ホロコースト記念館の展示をみればわかります。

そして、この聖地エルサレムにイスラム教もせまってきます。

イスラム教の誕生と、エルサレムがまたも聖地となったワケ

イスラム教の誕生と、エルサレムがまたも聖地となったワケ

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山陰在住のライター。歴史が大好きで、いつか大英図書館の無数の本たちに埋もれるコトが夢。

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