トルコの世界遺産を全部解説!歴史から絶景の魅力までお伝えします

「世界がもしひとつの国であったなら、その首都はイスタンブールである」とは、かのナポレオンの言葉だそうです。英雄をも魅了した街を有する国、トルコ。西洋のようでもあり、東洋のようでもあり、中東やアラブのようでもある、様々な文化が混ざった独特の雰囲気を持った国。古くは石器時代、青銅器時代から人の営みがあり、様々な古代文明を育んできた土地。世界遺産に登録された遺跡や街並みもたくさんあります。一度は訪れてみたい、魅力いっぱいのトルコの世界遺産、一挙にご紹介してまいりましょう!

トルコとはどんな国?

トルコとはどんな国?

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国の広さは?人口は?

トルコとはどんな国なのでしょう?まずは現在の国の様子や歴史など、基本情報を押さえておきましょう!

トルコの正式名称はトルコ共和国(Republic of Turkey)。
1923年に共和制を宣言し、その後、現在の国家が誕生しました。
イスタンブールという街がとても有名ですが、首都は内陸部にあるアンカラという都市。
トルコの政治の中心地で、中東・西アジア有数の世界都市です。

国の面積は約78万平方キロメートルで世界36番目に広い国、日本のおよそ2倍の面積。
横に長い、長方形のような形をしていて、国内行政は81の県に区分されています。

人口は約7900万人。
住民のほとんどはアジア系のトルコ人ですが、クルド人、アラブ人、ギリシャ人、アルメニア人なども少数ながら、東部地域を中心に居住しています。
公用語はトルコ語です。

日本との時差は7時間(サマータイム期間は6時間)で、日本の現在の時間から7時間引いた時間がトルコの時間になります。

トルコ共和国が誕生したのは20世紀に入ってからですが、地中海、黒海、エーゲ海に囲まれ、「東西文明の十字路」と呼ばれたこの土地は、古くから多くの国の誕生と衰退を見届けてきました。
広い国土の中には厳しい寒さに見舞われる地域もありますが、海沿いは概ね温暖。
長い歳月をかけて造られた街並みは色鮮やかで美しく、食べ物も美味しい。
直行便でもおよそ12~13時間とかなり遠いですが、観光地として大変人気があります。
多くの文化が感じられる独特の雰囲気が日本人の旅情を誘うのかもしれません。

トルコの歴史(1)古代からローマ帝国まで

トルコの国土の大半を締めるアナトリア地方(半島)には、少なくとも紀元前6500年頃にはチャタル・ヒュユクに集落が形成され、人の暮らしがあったと考えられています。

紀元前3000年頃には、エーゲ海沿岸のトロイに都市が築かれました。
銅やスズなどが作られた青銅器時代。
金や銀など様々な装飾品も数多く出土しており、交易が盛んであったことが伺えます。

紀元前2000年頃にヒッタイトという最初の統一王国が誕生します。
初めて鉄器を使った民族として強大な力を誇り、紀元前1300年頃には大国エジプトと戦を交えるなど栄華を誇りましたが、紀元前1200年頃には滅亡。
理由は「海の民」の侵入によるものと言われていますが、その実態は謎に包まれています。

その後は、小国がいくつか分立する時代が到来。
ウラルトゥ王国、後期ヒッタイト王国、フリギア王国、リディア王国、アッシリア帝国などが紀元前6世紀頃まで、アナトリア地方で国家を形成し、その後、紀元前6世紀半ば頃ペルシアによって統治される時代がやってきますが、そのペルシア帝国も紀元前334年にマケドニアのアレキサンダー大帝に滅ぼされてしまいます。
大帝はギリシャ、エジプト、アジアを巻き込む大帝国を築き上げ、支配していきました。
この時代のローマ帝国を思わせる遺跡がエフェソス、ペルガモン、ディティムなどの街に数多く見つかっています。

330年にローマ帝国のコンスタンティヌス帝は遷都を行い、街の名をコンスタンティノープルと改めました。
現在のイスタンブールです。

トルコの歴史(2)東ローマ帝国から現代まで

395年にローマ帝国は東西に分裂し、アナトリア地方は東ローマ帝国の一部となり、ビザンティン帝国とも呼ばれるようになります。

6世紀半ば頃、ユーラシア大陸中央でも動きが。
トルコ民族系と言われる突厥(トッキ)が王国を設立し、西へ移動を開始。
突厥族は分裂や抗争を繰り返し、10世紀にイスラム教の影響を受けてますます勢力を拡大していきます。
セルジューク家を指導者とするセルジューク・トルコ王国が設立されますが、13世紀後半、モンゴル帝国や十字軍運動の侵入で弱体。
アナトリア地方はいくつかの国家に分かれていましたが、そんな中、もとはセルジューク朝に仕えていたオスマン・ベイ率いるオスマン朝が勢力を伸ばしていきます。
オスマン帝国(1299年~1922年)の誕生。
オスマン・トルコと呼ぶこともあります。

これがとにかく強かった。
オスマン帝国はアジア、ヨーロッパ、エジプト、アフリカ大陸まで、周辺諸国を次々に征服し、オスマン帝国は空前絶後の大帝国へと発展していきます。
16世紀には最盛期を迎えますが、その後は徐々に失速。
18世紀を過ぎる頃には、広がりすぎた領土を守るための軍事費が財政を逼迫し、オスマン帝国は傾き始めます。
19世紀には黒海付近の土地を求めて侵攻を繰り返していたロシアとの争いに敗れ、東ヨーロッパの領土を失い、20世紀には第1次世界大戦にも敗北して領土の大半を失いました。
混乱の中、共和制が宣言され、トルコ共和国が誕生。
オスマン帝国は消失したのです。

トルコに世界遺産はいくつあるの?

トルコの歴史を駆け足で見てまいりましたが、長い歴史が物語るとおり、トルコにはたくさんの歴史的遺産が残されています。

古くは石器時代、青銅器時代に始まって、ヒッタイト、ペルシア、ローマによる時代を経て、トルコ民族による国家の設立、そして共和国へ。
トルコには、東西を結ぶ土地ならではの歴史が刻まれているのです。

そんなトルコの世界遺産は、2016年の時点で合計16か所。
文化遺産が14、複合遺産が2。
中でも、都市まるごと世界遺産となったイスタンブールや、不思議な形の岩が連なった遺跡カッパドキア、トロイの木馬で有名なトロイ遺跡など、観光地としても有名な場所がたくさんあります。

神秘的で優雅でエキゾチック。
様々な文化が融合してできた独特の遺構の数々は、訪れる人を魅了し続けています。
登録されて30年以上経つものから比較的最近登録されたものまで、多種多様な遺産の数々、一挙にご紹介してまいりましょう。

ここでは、西部、南部、中部、東部の4つの地域に分けてご案内いたします。







イスタンブール周辺および西部地域

イスタンブール歴史地域(1985年登録)

イスタンブール歴史地域(1985年登録)

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西洋と東洋が接するところ。
かつてはビザンチン帝国の首都コンスタンチノープルとして栄え、現在では人口1400万以上の人々が暮らす世界有数の国際都市であるイスタンブールの町まるごと、世界遺産に登録されています。
ローマ帝国、ビザンティン帝国、オスマン帝国という3つの大帝国の首都としての歴史が色濃く残っていて、様々な文化の息吹を感じることができるのです。
真ん中にボスポラス海峡があり、文字通りアジアとヨーロッパの架け橋となっています。

町の中で世界遺産となっているのは4箇所です。

まず「遺跡公園地区」。
トプカプ宮殿やアヤソフィア、数万枚のタイルが貼られ青く輝くことから”ブルー・モスク”と呼ばれるスルタンアフメト・モスクなど、栄華を極めた大帝国が築き上げた数々の建築物が集中している地区です。

「スレイマニエ・モスクと付属保護地区」はオスマン帝国最盛期に造られたスレイマニエ・モスクと、その周辺に建てられた病院や商業施設などを含めた地区。

「ゼイレク・モスクと付属保護地区」は12世紀に建てられたキリスト教の教会で、オスマン帝国の時代にモスクとして使われるようになったゼイレク・モスク。
トルコの歴史を知ることができる貴重な建物です。

そして「イスタンブール大城壁地区」には東ローマ帝国時代に築かれた「テオドシウスの城壁」を中心とした地区。
ここにも、修道院として5世紀頃建てられ、オスマン時代にモスクとなった貴重な建物が残されており、現在では博物館として利用されています。

セリミエ・モスクとその社会的複合施設群(2011年登録)

セリミエ・モスクとその社会的複合施設群(2011年登録)

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トルコの最高建築との呼び声も高いセリミエ・モスクは、イスタンブールの中心地から北西に230kmほど離れたエディルネという町にあります。
オスマン帝国時代、時の皇帝が建築家ミマール・スィナンに命じて1568年から1574年にかけて建てられた、イスラム建築最高峰とも言われるモスクです。

高台に建つ巨大なモスクは、町のどこからでも見ることができるよう築かれたのだとか。
当時の帝国の力の大きさを垣間見ることができる巨大で荘厳な建物。
とりわけ天にすっと伸びた4本の尖塔が目をひきます。

外観も壮大ですが、内部の美しさも秀逸。
モスクのまわりには図書館や学校、公衆浴場、宿泊施設、市場、病院、墓地などがあり、多くの人々が行き交っていた様子を知ることができます。

世界遺産へ登録された経緯としては、建築技術の高さや歴史的な価値が評価されたようです。

エディルネは石器時代や青銅器時代から人が暮らしていたとされる、非常に歴史の古い町。
ギリシャ国境に近い場所にあり、マケドニアやローマ帝国、ビザンティン帝国、オスマン帝国の中心的な都市であったため、歴史的な建築物が数多く残っています。
オスマン帝国時代にイスタンブールへ都が移されてからも、政治や儀式の中心的な町であり続けました。

もともとは、ローマ帝国の第14代皇帝ハドリアヌスがこの土地に目を付けて都市を築いたと言われていますが、残念ながら、その時代の遺跡はほとんど残っていません。
ハドリアヌスは人気漫画 『テルマエ・ロマエ』に登場するあの皇帝。
何か遺構が残っていたら、当時の様子をもっと知ることができたのかもしれません。

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