アメリカ独立戦争の発祥の地!アメリカで最も古い歴史を持つボストンの歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はアメリカ「ボストンの歴史」をご紹介します。

ボストンってこんなところ

ボストンってこんなところ

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ボストンはマサチューセッツ州の北東部にある州都です。
東アメリカ最大級の都市で金融センターとしての役割を担うアメリカ有数の世界都市。
アメリカ独立後は海に面した港町として栄えており、製造業でも中心地として高い影響力を持っています。
アメリカで最も古い歴史を持ち、観光客も多く訪れています。
ヨーロッパのような雰囲気を醸し出す、煉瓦造りの街並みと石畳の道を歩くだけでボストンの歴史を感じることができ、アメリカ初で世界屈指のエリートを輩出するハーバード大学があるケンブリッジへの地下鉄も整備された便利な町です。

ボストン中心部の道路に描かれている約4kmの赤い線のフリーダムトレイルを歩いての観光は必見。
アメリカ独立に向けての歴史を語る16の史跡を結んでいるのでボストンを知るのには最高の地だと思います。
元アメリカ大統領のジョン・F・ケネディにまつわるスポットや印象派の作品が揃うボストン美術館、アメリカが独立するきっかけとなったボストン茶会事件を語る博物館などの魅力に溢れた観光地もいっぱいです。
今回は、アメリカ最古の歴史を持つボストンの歴史について少しだけ触れてみたいと思います。

イギリスから理想を求めやってきた清教徒たち

イギリスから理想を求めやってきた清教徒たち

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ボストンに一番初めに訪れたのは、1614年のキャプテン・ジョン・スミスです。
1603年にイギリスでは、ジェームズ1世(イングランド王在位:1603-1625)が即位し、翌年ピューリタンに対する弾圧を強化しました。
これにより、1620年9月6日にイギリス南西部にあるプリマスからウィリアム・ブラッドフォードとウィリアム・ブルースター率いる清教徒41名を含む102名(女性29名)が、メイフラワー号に乗り宗教的な自由を求めて大西洋への航海へと繰り出します。
紆余曲折を経てボストンの南にあるプリマスに到着しました。
彼らは後に、ピルグリム(巡礼者)・ファーザーズ(父祖)と呼ばれています。

最初の頃の彼らの生活は過酷でした。
ネイティブ・アメリカと衝突した上に、住む家もなかったので船での生活を送りながら住む家を建てたのです。
長旅の疲れと新鮮な食料に飢え、ニューイングランド地方の冬の寒さが仇となり約半数が亡くなりました。
彼らは、お互いを励ましながらこの苦境を乗り越え、イギリスで果たせなかった「理想社会」を創るという希望のもとひたすら働き努力し入植を勝ち得ます。
彼らは初の移民成功者で、アメリカ建設の祖として歴史に名を刻みました。

イギリスからの本格的な移民の始まり

イギリスからの本格的な移民の始まり

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1630年から本格的な移民が始まり、10年超の間に2万人以上が移民しています。
最初の移民は、1630年9月17日にジョン・ウィンスロップが1000人の移民を率いて到着した時です。
植民地は次第にプリマス周辺のボストンなどに広がりました。
ボストンを中心にニューイングランド各地に集団で移植するようになります。
彼らは、10年前に入植に成功した一行とは異なる宗教を持つ団体です。
ボストンを街にしたのは、1630年に移民した者たちでした。

1632年に彼らの築いたショーマット半島にボストンという名前が付けられました。
これは一部の有力な入植者の出身地である、イングランドのリンカンシャー郡ボストン市から付けられています。
それまでは、初期移民者が付けた「トリマウンテン」、3つの山と呼ばれていました。

中心地としての役割を担い始めるボストン

中心地としての役割を担い始めるボストン

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マサチューセッツ湾植民地が造られたことにより、ボストンに秩序が保たれ始めます。
これは、1629年にチャールズ1世から与えられた特許状に基づき、ジョン・ウィンスロップによってボストンなどを中心に、イギリス国教会から分離しない非分離派によって、聖書の教えを実践する共和国建設を旨として造られました。
ジョン・ウィンスロップは、「キリスト教的慈愛の模範」と題し説教を行い、ボストンと神は特別な契約を結んでいるとの考えを広めました。

ボストンはマサチューセッツ湾植民地の首都となり安定期を迎え中心的な存在になりました。
1636年にはアメリカ初の大学「ハーバード大学」が設立され、植民地の末期には人口約1万5千人になり、五大貿易港の一つとして栄えています。
1750年代にフィラデルフィアがボストンを上回る発展を遂げるまで北米最大の都市として君臨しました。







イギリスの締め付けによる抵抗運動の舞台となったボストン

イギリスの締め付けによる抵抗運動の舞台となったボストン

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1756年に起こった、フランスとの七年戦争に勝利したものの膨大な負債を抱えてしまいます。
イギリスは植民地に無理な課税をし、税収を増やすことで負債を補おうとしました。
これにより、植民地でイギリスへの反感が芽生え、1765年に印紙税法反対を皮切りに反対運動が起こります。
加速的に勢力を増しますが、イギリス本国からの課税はどんどん酷くなる一方でした。

1770年にはイギリス兵と無職の若者の間で些細なことがきっかけで口論となります。
市民が税関前に立つイギリス兵に雪や石、氷などを投げつける騒動が度々起こりました。
じっと耐え続けたイギリス兵ですが限界に達し発砲。
他のイギリス兵たちも一斉に射撃します。
最終的にはボストン市民の5人が死亡。
これが有名なボストン虐殺事件です。

起こってしまう独立革命の前触れ、ボストン茶会事件

起こってしまう独立革命の前触れ、ボストン茶会事件

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このボストン虐殺事件が引き金となり、1773年にボストン茶会事件へと発展します。
この事件の後は、主な税制が撤廃されましたが、お茶への関税はそのまま続きました。
イギリス発展の立役者である、東インド会社を倒産から救おうと、お茶に関する新たな税法を植民地に課してしまいます。
政府はお茶の貿易を東インド会社の独占にしようとしました。
お茶の売買による損害はもちろん、自由な貿易権までも政府に奪われると懸念したことから起こった事件です。

1773年12月16日の夜に事件は起こります。
ボストンの港でお茶を陸揚げする前の停泊中の3隻の船に、夜になってジョン・ハンコックを中心とする急進派が先住民に変装し乗り込みました。
茶箱342個を海へ投げ捨てたのです。
これを機に、植民地とイギリス本国との仲は一段と険悪になります。
これでも、亀裂が埋まらない両国。
常に革命運動の先頭に立っていたボストンは、アメリカは独立を模索し始めました。

アメリカ独立戦争へと加速するボストン

アメリカ独立戦争へと加速するボストン

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1775年4月に独立戦争の火ぶたを切ったレキシントン・コンコードの戦い、初の激戦地となったバンカーヒルの戦い、ボストン包囲戦などボストン近郊で初期には様々な戦闘が繰り広げられました。
1776年にはイギリス軍はボストンから撤退。
同年の7月4日には、北アメリカ13植民地の代表と大陸との会議でアメリカ独立宣言が採択され、ボストン議会議事堂で独立宣言が行われました。
1780年にはマサチューセッツ憲法を採択し、1783年にはパリ条約で正式にアメリカ合衆国として建国されました。

レキシントン・コンコードの戦いで一人の英雄が生まれています。
銀細工師のポール・リビアは、イギリス軍の進撃を伝えるために徹夜で馬を走らせたというもの。
彼は今でも愛国者の象徴として「真夜中の騎行」という名で英雄として伝わっています。

次のページでは『イギリスからの独立後のボストン』を掲載!
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