「温泉」=「うんぜん」?!歴史ある良泉リゾート・雲仙温泉の魅力とは

長崎県の南東部、島原半島の西側に、雲仙(うんぜん)温泉という温泉地があります。雲仙は日本初の国立公園(雲仙天草国立公園)であり、それ以前はなんと、「温泉」と書いて「うんぜん」と読ませていたという、言わば”生粋の温泉地”なのです。標高700mという地形から夏場も涼しく、明治・大正期にはセレブの保養地としても栄えた雲仙温泉。今回はそんな「温泉の中の温泉地」である雲仙温泉の歴史と魅力をたっぷりご紹介してまいります。


雲仙温泉の歴史

1300年以上の歴史を持つ古湯

1300年以上の歴史を持つ古湯

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雲仙妙見岳の南西、標高700mの場所に湧き出る雲仙温泉。
温泉街を囲むようにある噴気帯は別名「雲仙地獄」とも呼ばれ、観光の目玉となっています。
観光地として賑わい始めたのは明治以降のことですが、雲仙周辺に湯が出ていることは、古代から既に知られていたようです。

開湯は1300年以上前、時は飛鳥時代から奈良時代へと移ろうかという頃。
701年(大宝元年)、奈良の大仏造立に尽力したことで知られる僧侶・行基(ぎょうき)によって雲仙山(当時は温泉山)が開かれ、満明寺というお寺が建てられ、これが今日の雲仙温泉の始まりであると考えられています。
このとき、近くに四面宮(しめんぐう・四面神を祀った神社)と呼ばれる神社を創祀。
当初、雲仙周辺に4箇所の温泉神社が創建されたため”温泉四面神”と呼ばれるようになったとも、九州を表す4つの地名にちなんだ神様を祀ったことからそう呼ばれるようになったとも言われています。

現在でも島原周辺には温泉神社と呼ばれる神社が十数社。
もちろん、雲仙温泉にもあり、今なお地元の人々の信仰を集めています。

江戸時代の雲仙温泉

江戸時代の雲仙温泉

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古くから良質の湯が湧き出ると知られていた雲仙温泉。
満明寺は何度も焼失を繰り返しながらも再興し、最盛期には1000を超える坊を備え多くの修験者を抱える大きな寺院であったのだそうです。

そんな雲仙温泉が、湯治場として、温泉地として広く知られるようになったのは江戸時代に入ってからと言われています。
江戸初期、島原半島一帯では日本史上最大規模とも言われる一揆「島原の乱」が勃発し、鎮圧された後も領民たちの間には不安と混乱が広がっていました。

そんな中、江戸幕府のもと、肥前島原藩の藩主となった松平忠房は、混乱を鎮めて藩を立て直すため、様々な政策を繰り出します。
そのうちのひとつが雲仙の開拓。
焼き払われた神社仏閣を建て直し、1653年に初の共同浴場「延暦湯」を開きました。
このとき湯守に任命された加藤善右衛門は湯宿を創業。
四面宮、満明寺を再建し散り散りになった僧侶たちを呼び戻すと、次第に湯治客が増え、温泉地としての賑わいを見せるようになったのだそうです。

17世紀後半、鎖国時代に長崎の出島に滞在していたドイツ出身の医師ケンペルは、日本での見聞をまとめた書物『日本誌』の中で雲仙を紹介。
これにより、雲仙温泉は広くヨーロッパで知られるようになります。

一方で、雲仙はたびたび地震や火山の噴火に脅かされ続けてきました。
1792年には雲仙普賢岳の山頂火口から噴火が始まり、地震、山崩壊、津波などの災害が続くこと数ヶ月。
「島原大変」と呼ばれたこの大災害では、死者・行方不明者が1万5000人にも及んだといいます。
近年に於いても、1991年の雲仙普賢岳の大火砕流は記憶に新しいところです。

近代の雲仙温泉

近代の雲仙温泉

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江戸末期に、シーボルトが自著『日本』の中で雲仙のことを”UNZEN TAKE”と紹介したのを皮切りに、幕末から明治にかけて、雲仙温泉の存在は広く外国人に知られるようになります。
開国後、外国から、特に上海租界地域在住の欧米人が避暑として雲仙にやってくるようになり、外国人客が増加。
これを受けて、外国人客向けの洋式ホテルが建設されます。

また、船による航路以外にも鉄道(島原鉄道や小浜地方鉄道など)が整備され、交通の便が向上。
ますます観光客が増えていきます。
1934年(昭和9年)には、日本初の国立公園に指定。
それまで地元では「温泉」と書いて「うんぜん」と読んでいましたが、国立公園の名称としての登録を期に「雲仙」という表記に統一されたのだそうです。

戦後は一時期、アメリカ駐留軍によってホテルやゴルフ場、テニスコートなどが差し押さえられていましたが、1950年(昭和25年)は解除され、その数年後には富士山と共に国の「特別名勝地」に指定されます。
さらに、温泉利用を促す目的で設けられた「国民保養温泉地」にも選出され、温泉地・観光地として多くの観光客が訪れるようになっていったのです。

一度は訪れたい!雲仙温泉の名刹・古刹

雲仙温泉の歴史はこの寺院から「満明寺」

雲仙温泉の歴史はこの寺院から「満明寺」

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大乗院満明寺(だいじょういんまんみょうじ)は温泉旅館が建ち並ぶ街の中心地にある真言宗御室派の仏教寺院。
温泉街の中の小高い丘の上に建ち、1300年以上もの間、雲仙温泉の移り変わりを見つめてきた歴史ある名刹です。

701年(大宝元年)、奈良時代に広く仏教を説いたことで知られる行基によって開山された温泉山(うんぜんざん)。
その際建立された満明寺は、真言密教の修験道場として栄えました。
ひところは1000を超える坊を有する大きな寺院であったと言われています。

1571年(元亀2年)に起きた僧兵の内紛や、1638年(寛永14年)の島原の乱の際に建物は焼失。
その後も何度か、自然災害や火災の影響で建物が焼け落ちるという災難に見舞われますが、敷地内には唯一、開山時期を記した石柱が残っており、当時の姿を今に伝えています。

長い長い石段を上った先の小高い丘の上にあるため、境内から見える温泉街の景色も見どころのひとつですが、上まで上がったら是非、本堂の中に鎮座する雲仙大仏に手を合わせていってください。
全長5m、全身純金箔の眩いばかりのお姿は大迫力。
厳しさと穏やかさを併せ持ったような目で、訪れた人々を静かに迎えてくださいます。

本堂からさらに少し上に上がったところには、小さな菩薩像が並んでおり、20分ほどでひと巡りできる四国八十八ヶ所のミニチュア版が。
こちらもご利益がありそうです。

雲仙屈指のパワースポット「温泉神社」

雲仙屈指のパワースポット「温泉神社」

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「おんせんじんじゃ」とは読まずに「うんぜんじんじゃ」と読む、温泉街に鎮座する歴史ある神社。
満明寺と同時期に建立され、奈良時代に開山されてから昭和に入って国立公園に指定されるまで、”温泉”と書いてうんぜんと読んでいた時代を垣間見ることができる歴史あるスポットです。
残念ながら温泉が湧いているわけではなく、お湯に縁があるわけでもないのですが、一帯を”雲仙”と表記するようになってからも「温泉神社」と呼ばれています。
島原半島には他にもいくつか「温泉神社」という名の神社がありますが、雲仙岳を信仰する神社の分社としてここ雲仙の温泉神社から、山の麓の各地域へと広がっていったものなのだそうです。

九州の守り神を祀ったことから「四面宮」とも呼ばれ、地元では「おしめんさん」の愛称で親しまれている温泉神社。
境内はこじんまりとしていますが、満明寺とも近く雲仙温泉の中心街にあるため、散策ついでに訪れる人で賑わっています。

特にこれといって見どころがなさそうな小さな神社ですが、立ち寄る機会があったら是非、社殿の奥まで足を進めてみてください。
樹齢200年以上と言われる大きな柿の木が2本、仲良く並んで立っていて、なかなか見応えがあります。
この木は「夫婦柿」と呼ばれ、恋愛成就のご利益があるのだとか。
両手で幹に抱きついて撫でながら願い事を唱えると、願いが叶うのだそうです。
あまり広い場所ではないので人目が気になるところですが、祈願できたら柿の木が勇気を与えてくれるかも?しれません。

Writer:

歴史と歴史小説と遺跡を愛してやまない東京都在住の主婦。子供のころからの大の時代劇ファン。国内外問わず歴史小説を読むようになり、NHK人形劇「三国志」を見て中国史にはまって大学では東洋史学を専攻。愛猫とじゃれながら歴史小説を読み漁る毎日を送っている。趣味は古地図を眺めることとカメラ片手の街散策。

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