かつての人類の夢、太平洋と大西洋を繋いだ「パナマ運河」の歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は南米パナマ「パナマ運河の歴史」をご紹介します。
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1914年に開通したパナマ運河とはどんなもの?

1914年に開通したパナマ運河とはどんなもの?

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南米パナマ共和国にあるパナマ運河は、パナマ地峡を横断し大西洋と太平洋を結ぶ全長80キロメートルの運河です。
カリブ海のコロンから人造湖のガツン湖を経由し太平洋岸のバルボアに通じています。
アメリカ大陸の東海岸と西海岸を簡単に行き来できるという重要性も極めて高く、世界的に主要な役割を担っており現在も進化し続けているのです。
新パナマ運河と呼ばれる第三閘門建設を含む運河拡張計画が行われ2016年6月26日に開通しました。
これからの活躍を期待したものですね!

もし、パナマ運河が開通していなかったら、日本にとってどんな影響があるのでしょう?2017年からアメリカより輸入する予定の「シェールガス」ですが、新パナマ運河がないと、南アフリカの喜望峰を回るルートを取ることになり、コストが大幅に膨らむといわれています。
なぜなら、パナマ運河経由なら20日で行ける所を喜望峰経由だと約45日もかかってしまうというのです。
資源の少ない日本にとっては大変な問題ですね。
今回は太平洋とカリブ海を結ぶ夢の航海ルート「パナマ運河」の歴史に触れてみたいと思います。

パナマ運河建設まで

パナマ運河建設まで

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パナマ運河を通るための所要時間は8時間です。
しかし、たくさんの船が通過待ちをしており、1日がかりとなっています。
しかも通行料は船の大きさや荷物の重さによって決められますが、7万トンクラスのバルク船では約3000万円もかかるんです。
庶民感覚では3000万円?1日がかり?そんなのムリムリ!もっと早くて、簡単な方法ないの?って思っちゃいますよね。
パナマ運河は、現代社会の力でもかなり便利で重要なんですよ。

かつて、荒れ狂う海で有名だったカリブ海と太平洋には海賊なども集まる危険水域だったんです。
カリブ海は国際的にも大切な航路となっており、各国は早くからこの運河建設を目的に競ってこの地を獲得しようと躍起になっていました。
このパナマ運河建設に至るまでには、4つのルートが候補に挙がっています。
テワンテペック・ルート(現メキシコ)、ニカラグア湖・ルート(現ニカラグアのサンファン川)、コロン・ルート(現パナマ運河)、ダリエン・ルート(現パナマでパナマ運河より東のコロンビアより)です。

誰がパナマ運河建設を勝ち取った?

誰がパナマ運河建設を勝ち取った?

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15世紀にスペイン人がパナマ地峡を横断し太平洋に辿り着き、かつての人々の夢は気軽に大西洋と太平洋を結ぶ航路ができないかということでした。
ここでこの建設に最初に乗り出したのが、イギリスとアメリカでした。
彼らはニカラグア湖・ルート建設を前提に話し合いを進めていました。
姿も形もないこの運河の将来を見越して、2つの大国が大きく譲歩し牽制しあいながら1850年にクレイトン・ブルワー条約を締結したのです。

両国が駆け引きを進めている間に名乗りを上げたのは、地中海と紅海を結ぶ「スエズ運河」を造ったフランス人のレセップスでした。
彼は、スエズ運河を造り上げた功績のもと、カリブ海と太平洋を結ぶ運河を造ろうと試みたのです。
彼にとっても南米大陸は未開の地で、建設に戸惑い完成までにはナント34年もかかっています。

パナマ運河建設の始まり

パナマ運河建設の始まり

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建設開始までには1875年5月15日にパリで「両洋間運河研究国際会議」が開催されています。
ここで運河の建設場所についても話し合いがもたれ、レセップスが推薦したコロン・ルートに決定しました。
しかし、このルートには最大の難関があったのです。
それは、海抜100mの山があり、これをどうするかという問題でした。
山を海のレベルまで掘り下げる海面式(水平式)にするか、山の形に合わせて階段状に堀水門で水を溜めて船を上げ下ろしする閘門式(水門式)を取るかが課題となりました。

海面式はかなりの工期や費用がかさむということで反対意見が多かったのですが、レセップスはスエズ運河建設と同じ「海面式」を推奨しこれが採用されました。
こうして、運河建設がレセップスのもと行われることになりました。

前途多難なパナマ運河建設

前途多難なパナマ運河建設

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スエズ運河の時は砂漠を突っ切る形で作ったので簡単に思えた海面式でしたが、今度は熱帯雨林の山越えがあり簡単にいくわけがありません。
パナマ運河会社を設立するもうまく株が売れず資金繰りも順調に行きませんでした。
この時点から前途多難な状態でした。
フランスでは受けのよくない運河建設でしたが、コロンに就くと大歓迎を受けています。
1880年元旦にパナマ運河起工の鍬入れ式が行われるまでこぎつけました。

まず、着手したのはジャングルを切り開いての道筋造りです。
特にカリブ海側の熱帯雨林の原始林を切り開くのは並大抵なことではありません。
建設に必要な物資を運ぶための機材の購入も大変なものでした。
雨期に入ると工事人たちはマラリアや黄熱病に倒れてしまいました。
当時はまだ、病気も解明されておらず、有能な現場監督も病気に倒れ亡くなりました。
それに加えパナマ地震が起こってしまったのです。

危機を乗り越えるも再度危機に陥るパナマ運河建設

危機を乗り越えるも再度危機に陥るパナマ運河建設

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しかし、この危機は何とか乗り越えることができました。
次の現場監督のダングレーはできる男でした。
掘削も進み、運河工事最大の難関だったクレブラという高い山も掘削して切り開く作業が始まります。
ダイナマイトと多くの黒人奴隷たちの手作業により進められた工事でしたが、地質の問題もあり地滑りが多く発生してしまいかなりの無理を強いられたのです。

ここにはチャグレス川というもう一つの問題がありました。
この川は大雨が降ると水位が一気に上がり氾濫します。
ダングレー自身も黄熱病にかかり、彼の妻と二人の子供、娘の婚約者が黄熱病で亡くなってしまったのです。
彼自身は助かったものの、心身共にぼろぼろの状態でこれ以上監督を続けるのが無理な状態でフランスへと帰国してしまいました。

パナマ運河建設に失敗してしまうレセップス

パナマ運河建設に失敗してしまうレセップス

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パリに帰国していたレセップスは80歳を超えていました。
工事の進捗状況を見にパナマに訪れ、この時も大歓迎を受けています。
やり手だったダングレー指揮のもと行われた工事ですが、着工から6年経つも予定の4分の1しか進んでいなかったのです。
パリでの資金集めもうまく行かず、宝くじ債権を発行しようとまで思うほどだったレセップスはショックを受けました。

この頃は疫病による死者は増える一方で資金も底をつく状態でした。
同行した調査団は海面式でこの運河を完成させることは無理だとの見解を示したのです。
前半に閘門式と記述しているのに何で海面式?と思われた方もいらっしゃると思います。
ここでレセップスは海面式を諦め、閘門式に変更しました。
今度は、パリのエッフェル塔を造った製作者に依頼しようと試みますがうまく行きません。
残念なことにレセップスはパナマ運河建設に失敗してしまいました。
1889年パナマ運河会社は破産しこの建築は終わりを告げました。

パナマ運河建設に乗り出すアメリカ

パナマ運河建設に乗り出すアメリカ

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その後も新パナマ運河会社が細々と運河造りを続けていました。
ここにきてアメリカがやっと動いたのです。
ルーズベルト大統領はこのパナマ運河建設にかなり積極的でした。
新パナマ運河会社とパナマ運河を含め全てを買い取ります。
この時このパナマを支配していたコロンビアはなかなかOKを出しませんでした。
この間にパナマを独立した共和国に造り上げ、新たにビュノオを中心としたパナマ運河建設が始まりました。

1906年に運河建設は閘門式と決定を受けての始まりです。
黄熱病などは蚊の撃退によりほぼなくなりましたが地滑りとの戦いは続きました。
しかし掘り続け、ガトゥン湖という当時世界最大級の人工の湖を造っています。
1914年にやっとパナマ運河が完成しました。
同年8月15日に運河開通宣言が行われています。
アメリカ汽船のアンコン号が運河を通過しました。
が、第一次世界大戦が勃発しており人々の関心は集まらず、寂しい出発でした。

実は日本人にもパナマ運河建設による英雄がいた!

実は日本人にもパナマ運河建設による英雄がいた!

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日本人技師の青山士(あおやま あきら)氏がパナマ運河で活躍し、現在も英雄として語り継がれています。
1904年にパナマ運河の工事再開に際して参加し、マラリアに罹るも臆することなく7年半にかけて携っています。
80%ほど運河ができたところで、日米関係の悪化のため完成を待たずに帰国せざるを得ませんでした。

太平洋戦争中には日本海軍からパナマ運河の破壊を相談されるも、彼は「作ることは知っているが、壊し方を知らない」と答え、仁義を通したようです。
今でも彼の活躍は現地で語り継がれています。
このように海外で英雄として称えられている人を見ると、日本人として誇らしいですね。

年間約1万4000隻が通航するパナマ運河は日本にとっても身近な存在

新しい航路開発競争が行われている現在。
中国は新たにニカラグア運河建設に乗り出しています。
スエズ運河も拡張を進めており、北極海航路も開拓中です。
ますます、新航路開発に目が離せません。
2016年には新パナマ運河も建設され、一層進化を遂げています。
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