観光の前に知りたいブラジルの歴史。コーヒー、サッカー、サンバ…全ては歴史の賜物

2014年にはサッカーのワールドカップ、2016年にはオリンピックと続けざまにスポーツ界のビッグイベントが開催されたブラジル。近年の経済発展も目覚ましく、今後の世界で大きな影響力を持つようになる可能性を秘めた南米の大国です。コーヒーやサッカー、サンバなど陽気で自由なこの国の歴史は、中南米の他の国と同様に、ヨーロッパのアメリカ大陸「発見」以降大きく揺れ動いていきます。ブラジルの観光名物も、ルーツは全て歴史にあるのです。今回は、20世紀初めの移民もあって、地球の真裏にありながら日本との関わりも深いブラジルの歴史を見ていきましょう。
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インディオとヨーロッパ人のアメリカ大陸「発見」(~16世紀)

謎に包まれたブラジル先住民の歴史

謎に包まれたブラジル先住民の歴史

image by iStockphoto / 72212951

記録されたブラジルの「歴史」は、15世紀末のヨーロッパ人の南アメリカ大陸「発見」から始まります。
それまで、この地に人間が住んでいなかったわけではありません。
それより何千年も前から、ブラジルにも先住民族が暮らしを続けていました。
しかし、彼らは文字を持っていませんでした。
ヨーロッパ人来訪以前の彼らの暮らしぶりや社会機構について、記録が残っていないのです。
記録が残っていない以上、先住民族について分かっていることはほとんどありません。
したがって、ブラジルの歴史をひも解くと、その始まりはどうしてもヨーロッパ人来訪以降になってしまうのです。

ただし、それでもわずかな考古学的発見や記録から、先住民の生活について分かっていることがあります。
例えば、ヨーロッパ人来訪直前の時点で100万~200万人の人口があったと推測されているにもかかわらず、彼らには社会階級がなく、強大な国家もなかったと言われています。
また、太平洋側には巨大なインカ帝国が存在していたものの、アンデス山脈やアマゾンのジャングルに隔てられた大西洋側にはその覇権は及んでいませんでした。

ポルトガル人カブラルたちのブラジル「発見」

はじめてブラジルの地を「発見」したのは、カブラルを隊長とするポルトガルの第2回インド遠征隊でした(第1回がヴァスコ・ダ・ガマに率いられたものです)。
この船団は新大陸での香辛料貿易や探検を目的としたものでしたが、偶然にもブラジルの地に漂着したのです。
1500年の出来事でした。

ブラジルの地は、ポルトガルとスペインの間で結ばれていたトルデシリャス条約に基づいてポルトガル領となりました。
トルデシリャス条約とは、新世界での領土紛争を未然に防ぐためのもので、セネガル沖のカーボベルデ諸島という島を通る子午線(赤道と直角に交わる線です)の西はスペイン領、東をポルトガル領として認めるという、驚くほどどんぶり勘定の条約です。
ともあれ、このトルデシリャス条約に基づいてブラジルはポルトガル領となりました。

あくまで当時の「ブラジル人」とは先住民たちではなく、ブラジルにやってきたポルトガル人のことである点には注意が必要です。
「インドに到達した!」というヨーロッパ人の勘違いに基づいて、ブラジルを含めた南北アメリカ大陸の先住民たちは「インディオ(インディアン、インド人の意味)」と呼ばれていました。

なお、この船団に同行していた商人たちは、当時ヨーロッパで取引されていた赤色染料の原料である「パウ・ブラジル」という木を発見します。
これが現在の国名の由来です。
植民地となった当初のブラジルは、ポルトガル本国からやってきた商人がパウ・ブラジルの貿易をするだけの土地でした。

「砂糖の時代」とブラジル公国の成立(16~17世紀)


砂糖プランテーションの成立

砂糖プランテーションの成立

image by iStockphoto

交易の材料となったパウ・ブラジルは、しかし16世紀前半にはほとんど取りつくされてしまいました。
その後商品として注目されたのが砂糖です。
サトウキビを原料とする砂糖を大量に生産してヨーロッパに持っていけば、大きな利益を期待することができました。

砂糖を安定的に生産するためには、多くの労働力が必要です。
イエズス会宣教師が布教活動と教育で先住民の心をつかんでいることに着目したブラジル人は、これら先住民を襲撃して捕らえ、サトウキビ農園の労働力として酷使するようになりました。

それと同時に、黒人奴隷も労働力として活用します。
ヨーロッパから西アフリカにラム酒や武器を供給して黒人奴隷を購入し、ブラジルに連行して砂糖生産に従事させます。
生産した砂糖をヨーロッパで売りさばくモデルが完成しました。
「三角貿易」です。
ポルトガルは、このモデルでばく大な利益を上げることができるようになりました。
砂糖プランテーション経済の完成です。
その一方、農園での奴隷労働は過酷を極めたとされています。

そのうち、先住民や黒人女性との混血児が増えてきます。
白人と先住民との混血人をメスティーソ、白人と黒人との混血人をムラートと言います(ちなみに「ムラート」という言葉は「雌のラバ」に由来しており、差別的なニュアンスを含んでいることは覚えておいてください)。

オランダの侵入とブラジル公国

16世紀前半には隆盛を極めたポルトガルですが、徐々に隣国スペインに押されていきます。
そして、1580年にはスペインについに併合されてしまい、ハプスブルク帝国の中の一国となります。
ブラジルも、ポルトガル領からスペイン領へ変更されました。

そこへ侵入してきたのがオランダです。
長年ハプスブルク朝スペインからの独立運動を行っていたネーデルラントのユトレヒト同盟は、1581年にネーデルラント連邦共和国(オランダ共和国)として独立を宣言。
スペインに打撃を与えるべく、ブラジルにも侵入を開始しました。
1621年にはアフリカや南北アメリカ大陸での貿易・征服活動を目指してオランダ西インド会社を設立し、本格的にブラジルにおけるスペイン領の切り崩しにかかります。
結局、1630年には一部地域が占領され、オランダ領ブラジルが成立します。

1640年、スペインからポルトガルが再度独立を果たします。
ポルトガルはブラジルからオランダを追い出す戦いを開始し、1646年にはブラジルを「ブラジル公国」へ昇格、王太子を「ブラジル公」としてポルトガルの傘下に入れる仕組みを構築します。
1654年、オランダはブラジルから完全に撤退し、ブラジル全域は再びポルトガル領へ変更されました。

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daifuku_shiruko

Writer:

和菓子好きの34歳男。某塾で歴史を教えていた経験があります。複雑な情報をうまく整理できたときの快感がたまらなく好きです。私の文章がそんな「快感」を共有できるものになれば・・・と思いながら、日々文章を書いています。

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