エジプトの世界遺産、ピラミッドの歴史と見どころ。「メンフィスとその墓地遺跡、ピラミッド地帯」

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「メンフィスとその墓地遺跡、ピラミッド地帯」をご紹介します。

メンフィスとその墓地遺跡、ピラミッド地帯ってこんなところ

メンフィスとその墓地遺跡、ピラミッド地帯ってこんなところ

メンフィスとその墓地遺跡-ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯(Memphis and its Necropolis – the Pyramid Fields from Giza to Dahshur)の住所・アクセスや営業時間など

名称 メンフィスとその墓地遺跡-ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯(Memphis and its Necropolis – the Pyramid Fields from Giza to Dahshur)
住所 Unnamed Road, Nazlet El-Semman, Al Haram, Giza Governorate,
営業時間・開場時間 各見学場所により異なる
利用料金や入場料 入場料:ギザの三大ピラミッド 80ポンド
参考サイト https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%A2%93%E5%9C%B0%E9%81%BA%E8%B7%A1
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メンフィスとその墓地遺跡-ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯(Memphis and its Necropolis – the Pyramid Fields from Giza to Dahshur)のスポットページ

世界七不思議の一つとされる謎多きピラミッド!

世界七不思議の一つとされる謎多きピラミッド!
ファラオ(王)の棺を祀る石造りの墓との説が有力とされている、エジプトの世界遺産、ピラミッド。
「死後、天へ昇り、星となり、太陽神と共に天空を巡る」とされた王の生命復活の装置だったという説。
夏にナイル川の反乱で農耕ができない民のための国家的事業説なども有力説とされています。

ピラミッドはどうやって作られた?歴代ファラオの遺体がないのはなぜ?ピラミッドの中ではものが腐らないの?ピラミッドの中に入ると頭がよくなるってホント?などなど、4500年経った今も謎に包まれる、古代ロマンの象徴ともいえるピラミッドに魅了される人は少なくないはず。

そんなエジプトの歴史をちょっとだけ覗いてみませんか。







試行錯誤の上に造られた史上初のピラミッド

試行錯誤の上に造られた史上初のピラミッド
エジプトの長い歴史の中でピラミッドの建設時期はそんなに長くありません。
古国王時代の第3王朝時代~第6王朝時代です

最初に作られたのは紀元前2650年ごろ。
ギザの南約10kmに位置するサッカラに造られました。
第3王朝2代目の王ジェセル(在位B.C.2668-2649年頃)の階段ピラミッドです。
6段の階段状の形は、王が昇天するための階段だったと推測されています。
ジェセル王から命令を受け設計したイムヘテプは後に神格化され、アスワンのフィラエ島に神殿が建立されています。
このピラミッドの存在は、建国から350年ほどたったこの頃にやっと王がエジプトを頂点とする堅固中央集権国家が確立されたことが示されたことになるのです。

この後に造られた第3~第5代のセケムケト、カーバー、フニ王の墓も似た構造ですがかなり崩れてしまいました。
アメリカ大陸の、マヤ、アステカ、トルテカ、西アジアのジッグラトでも階段状のピラミッドが造られています。

中央集権国家安定期のピラミッド

中央集権国家安定期のピラミッド
第4王朝時代には、5人の王の墓が造られ、階段状のピラミッドから現在の四角錘の真正ピラミッドへと進化しました。

新しくなったピラミッドは第4王朝初の王スネフェル(在位B.C.2613-2589年頃)が造りました。
ダハシュールの「屈折ピラミッド」と「赤のピラミッド」とセイラにある「崩れピラミッド」の3つが造られ、大きさは息子のクフ王ほどではないですが、使った石の数は歴代ファラオの中で最高でした。

現存する唯一の記念建造物「ギザの第ピラミッド」を建てたのが、クフ王(在位B.C.2589-2566年頃)の最大の功績です。
クフ王の息子カフラー(在位B.C. 2558-2532年頃)は、大ピラミッドに匹敵する「ギザの第2のピラミッド」を造りました。
これらの大きなピラミッドが造られたのは、中央主権国家の安定と王の権力が強大だったかを示しています。

メンカウラー王(在位B.C.2532-2504年頃)の作ったギザの第3のピラミッドは半分にも満たないもので、クフ王とカフラー王の巨大建築で国の財政を圧迫した王権の陰りを象徴しているようです。
ファラオたちは自分の権力の凄さを世に示すために、大きなピラミッドを造ったのでしょう。

王権衰退とピラミッドの小規模化

王権衰退とピラミッドの小規模化
ヘリオポリスでは太陽信仰が盛んになり、フェドエフラー以降の王が「ラーの息子」と名乗るようになったことも影響し、古王国と王権は衰退していきます。

第5王朝時代6人の王のピラミッドは小規模で粗雑なものです。

ほとんどが崩壊し原形をとどめてないのは、国力の衰退と見るべきか?遠征等は活発だったため、王の力の衰退と見るべきでしょうか…?しかし、ピラミッド複合体と呼ばれる付属建築は巧妙に造られており、装飾や行政システムは比べ物にならないほど精密になっています。

第5王朝最後の王ウナス(在位B.C.2375-2345年頃)のピラミッドがサッカラのジェセル王のすぐ南に崩れた形で残っています。
かなり小さくとてもピラミッドとは思いない姿となっていますが、ピラミッドの内部の壁面には古代エジプトの葬礼文章の一つとされるピラミッド・テキストが初めて残されています。

次のページでは『ピラミッド建設時代の終わり』を掲載!
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