巨大な石の車輪に圧巻されるインドの世界遺産「コナーラクの太陽神寺院」

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「コナーラクの太陽神寺院」をご紹介します。

コナーラクの太陽神寺院ってこんなところ

コナーラクの太陽神寺院ってこんなところ

image by PIXTA / 11925191

コナーラクのスーリヤ寺院の住所・アクセスや営業時間など

名称 コナーラクのスーリヤ寺院
住所 Konark India
営業時間・開場時間 現地時間06:00-20:00
利用料金や入場料 Rs250
参考サイト https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%A4%E5%AF%BA%E9%99%A2
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

コナーラクのスーリヤ寺院のスポットページ

7頭の馬に引かれ天空を駆け巡る太陽神の巨大寺院

7頭の馬に引かれ天空を駆け巡る太陽神の巨大寺院
「コナーラクの太陽神寺院」は、インド・オリッサ州コナーラクにある、ヒンドゥーの太陽神スーリヤを祀るヒンドゥ教の寺院。
オリッサ地方のベンガル湾岸の森林に包まれひっそりと佇んでいます。
コナーラクとは太陽のある所という意味です。
かつてインドの人々は、太陽神スールヤが毎日東の空から西の空を駆け抜け太陽を動かしていると信じていました。
人々が太陽神に抱く創造が生みだしたお寺です。
この寺院は寺院そのものに大きな12対の車輪が付けられ巨大な馬車となっています。
また、巨大寺院の前には、現在は柱だけですが、神にささげる踊りの舞台の遺跡「舞楽殿」も残っています。
この舞台の前では現在もオディッシー・ダ ンスが躍られています。
かつては神に仕える巫女たちが踊っていた、動く彫刻と呼ばれる伝統のダンスです。
もし、運がよければ訪れた際、ダンスも見られるか もしれません。







コナーラクの壮大なスーリヤ寺院のはじまり

コナーラクの壮大なスーリヤ寺院のはじまり
12世紀末頃、北インド一帯を征服していたイスラーム勢力に対する、ヒンドゥ王朝の一つとして君臨したガンガ朝。
この王朝は現在のオーディシャから南にかけて支配していました。
5世紀末まで起源を遡り興亡した王朝。
この寺院が造られたのは11世紀に東南インドに再び起こった後期ガンガ朝の頃です。
石積みのヒンドゥ教基本寺院のスタイルは6世紀後半頃に、デカン高原で起こったものといわれています。
8世紀から13世紀にかけてこの王朝内では、たくさ んのヒンドゥ教の寺院が造られています。
このコナーラクのスーリヤ寺院は、この時代最後の方に造られたもので、大きな規模を誇り、デザインや彫刻も最高と いわれています。
オリッサ様式の絶頂期を飾る寺院としての位置づけも忘れてはならないものの一つです。

神秘的なスーリヤ寺院の成り立ち

神秘的なスーリヤ寺院の成り立ち
1243年にこのイスラーム教徒打ち破った、ナラシンハ・デーヴァ1世(在位1238~1264年)によって、勝利の記念として造られた寺院との伝説が残っています。
この寺院を造るにあたり約1万2千人もの人々が過酷な労働をさせられ、王朝12年分の税収が使われ、完成までには20年もの歳月がかかったといわれています。
(寺院が完成していなかったという説も!)
次のページでは『オーディシャ州唯一の世界遺産の魅力』を掲載!
次のページを読む >>

関連記事を見る

歴史の記事を見る

敬虔なるキリシタン武将・明石全登、ドラマチックに登場した大坂の陣と謎の行方
苦節55年!?日本を代表する近代建築・国会議事堂は誰が建てた?
落ちぶれた本願寺を再興した救世主・蓮如が歩んだ道のりを徹底解説!
偉大すぎる父とできすぎた弟たちを持った毛利のプリンス・毛利隆元の苦悩
絶対敵にしたくない男No.1!「敵はとりあえず暗殺」の宇喜多直家、でも家臣は大事にした?
秀吉は本当に一夜で城を完成させたの?岐阜・墨俣城を訪ねてみた
出奔されてもコイツが必要!と伊達政宗に思わせたデキる親戚・伊達成実ってどんな人?
冬の立山連峰を越えた男・佐々成政、時代に翻弄された悲劇の最期
負け戦に敢えて挑む男のプライド。秀吉に刃向った武将・九戸政実の生き様
秀吉vs勝家!決戦の地・賤ヶ岳古戦場の歴史を辿る旅
小牧山城で近世城郭の始祖・織田信長の築城技術を学ぶ
公家趣味が彼を滅亡に追い込んだ?大内義隆を殺したのは、かつての愛人だった…!?