2500年前の段階で人類ここまで進んでいたとは…ギリシャ・アテネにあるアクロポリスの歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はギリシャ・アテネの「アクロポリス」をご紹介します。


アテネのアクロポリスってこんなところ

アテネのアクロポリスってこんなところ

Acropolis Athensの住所・アクセスや営業時間など

名称 Acropolis Athens
住所 Theorias 20, Athina, Greece 10555
営業時間・開場時間 現地時間 夏期 8:00-20:00 冬期 8:00-17:00
利用料金や入場料 12ユーロ
参考サイト http://odysseus.culture.gr/h/3/eh351.jsp?obj_id=2384
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

Acropolis Athensのスポットページ

アクロポリス遺跡の中心パルテノン神殿

アクロポリス遺跡の中心パルテノン神殿
アテネのアクロポリスは海抜150mの岩山の上にそびえ、都市の守護神をまつる聖域として、また市民が立てこもる要塞として2000年以上にわたってアテネの街を見守ってきました。
アクロポリスの中心となるのは、アテネの守護神・女神アテーナをまつるパルテノン神殿です。
この神殿は紀元前488年にペルシャとのマラトンの戦いに勝ったのを記念して作り始めましたが、紀元前480年にペルシャにより破壊されてしまいました。
紀元前437年に再建されたパルテノン神殿は、その後ヨーロッパ大陸の続きにある周辺大国の侵略をうけ、そのたびに姿を変えることになりました。
紀元後の6世紀東ローマ帝国の時代にはキリスト教の聖母聖堂になり、オスマン帝国に占領された1460年にはモスクに改築され、中にミナレット(尖塔)が作られました。

1687年にはオスマン帝国とヴェネツィアの戦争で爆発・炎上し、建物と彫刻が大きな被害を受けました。
ギリシャ独立の1832年頃からモスクが取り外され修復の動きが始まりましたが、本格的な再建は1975年からになりました。

パルテノン神殿の規模は長さ約70m、,奥行約31mで、大理石の円柱(直径1.9m、高さ10.4m)が外周に46本、内部に19本ある構造になっています。
円柱を作るドラム一つの重さが10トンぐらいするのものがあり、滑車と巻き上げ装置がついたクレーンが使われていたと思われます。
すごいですね!

この神殿と同様に二度の戦乱で破壊された世界最大の木造建築といわれる東大寺の大仏殿(長さ57m、奥行50m、高さ47m(屋根までの高さ))とあえて比較すると、その存在感の大きさが実感できます。
まして最初に建設された時代は1000年以上も古いのです。

アクロポリスの他の主な遺跡

アクロポリスの他の主な遺跡
アクロポリスは広さ3ヘクタール(約30000平方メートル)もある丘であり、これら以外に未整備の遺跡がまだまだあります。
プロピレア(前門)~アクロポリスへの門として紀元前432年頃まで作り始められましたが、現在では大理石と石灰石で作った柱が6本残るだけで中断したままになっています。

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