歴史が交差する旧ローマ教皇領「アヴィニョン歴史地区」

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「アヴィニョン歴史地区」をご紹介します。

アヴィニョン歴史地区ってこんなところ

アヴィニョン歴史地区ってこんなところ

Palais des Papesの住所・アクセスや営業時間など

名称 Palais des Papes
住所 Place du Palais, 84000 Avignon, France
営業時間・開場時間 Monday to Sunday 9am to 5pm 季節により異なる
利用料金や入場料 一般 11 ユーロ 学生 5,50 ユーロ
参考サイト http://whc.unesco.org/en/list/228/
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

Palais des Papesのスポットページ

中世の面影を残す建造物群

中世の面影を残す建造物群
アヴィニョン歴史地区はフランス南部の都市アヴィニョン市内にある、旧ローマ教皇領が主な範囲となっています。
アヴィニョンは中世に政治的な理由から約70年にわたってローマ教皇庁がおかれ、ヨーロッパの宗教世界の中心地となりました。
中世ゴシック建築の教皇宮殿や、「アヴィニョン橋」として知られるサン・ベネゼ橋の優美なアーチなどが見所となっています。
アヴィニョンの都市としての起源は、古代ローマ帝国時代にさかのぼります。

属州の重要都市として栄えましたが、5世紀に蛮族の侵入で一時荒廃し、7世紀にはフランク王国との戦争で滅ぼされています。
その後13世紀までに復興しますが、1309年、突如として歴史の表舞台に立つことになります。







教皇のアヴィニョン捕囚

教皇のアヴィニョン捕囚
1303年、フランス王フィリップ4世が、対立していたローマ教皇ボニファティウス8世をイタリアのアナーニで捕らえます。
「アナーニ事件」と呼ばれるこの一件でボニファティウス8世は病を重くして噴死し、ローマ教皇の権力が低下します。

フィリップ4世は自分のいいなりにできるフランス人クレメンス5世を新たに教皇の地位につけ、1309年に教皇庁をローマからアヴィニョンに移します。
後に「教皇のアヴィニョン捕囚」といわれる出来事で、1377年まで教皇庁はアヴィニョンにおかれることになります。

実はアヴィニョンに移したのは一時的なものだったのですが、神聖ローマ帝国がイタリアに攻め込んできて教皇がイタリアに戻れなくなったというのが長期滞在の本当の理由のようです。

教皇の都として建築ラッシュ

教皇の都として建築ラッシュ
14世紀にアヴィニョンは最盛期を迎えます。
1348年、教皇クレメンス6世はアヴィニョンを領主のプロヴァンス伯から買い取り、教皇領とします。
教皇庁が移転してきた頃、アヴィニョンは南フランスの田舎町でしたが、教皇のお膝元となったことで、人と物がこれまでと比べ物にならないくらい流れ込んできました。

市街地を囲む城壁が出来上がり、1364年には教皇宮殿が完成します。
その後も司教館として使われたプチ・パレなど、現在も残る主要な建築物が建てられています。

まさに建築ラッシュといったところ。
フランス王の息がかかっているとはいえ教皇の力がいかに強かったかが感じられますね。
またこの頃、 イタリアからボッティチェリやラファエロなど高名な画家が招かれ、この地方の芸術に多大な影響を与えました。
現在は美術館として公開されているプチ・パレにはアヴィニョンから生まれた美術品の数々が展示されています。

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