インドの新しい世界遺産、ラジャスタンの丘陵砦群の歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「ラジャスタンの丘陵砦群」をご紹介します。

ラジャスタンの丘陵砦群ってこんなところ

ラジャスタンの丘陵砦群の住所・アクセスや営業時間など

名称 ラジャスタンの丘陵砦群
住所 Amer 302001, India
営業時間・開場時間 施設による
利用料金や入場料 500ルピー
参考サイト http://hillfortsrajasthan.nic.in
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

ラジャスタンの丘陵砦群のスポットページ

インドの新しい世界遺産!ラージャスターンの丘陵城塞群とは?

インドの北西部にある国内最大規模のラージャスターン州。
砂漠の国と呼ばれる厳しい環境にありながらも、独自の文化を創ってきた力強い州です。

この地の名前は強大な力を持って押し寄せてきたイスラーム勢力と勇敢に戦い勝利した誇り高きヒンドゥの戦士「ラージプート族」から名付けられました。
今回は、ラージャスターン州に2013年に新しい世界遺産として登録された『ラージャスターンの丘陵城塞群』の歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

この遺産は、アンベール(ジャイプール)・ランタンボール(ランタンボール)・チットールガル(チットールガル)・ジャイサルメール(ジャイサルメール)・ガグロン(ジャラワール)・クンバルガル(メワール)の6つの城砦から構成されています。







メーワール王国の首都として君臨した城と広大な敷地を持つ15世紀の山城

ラージャスターンは8世紀後半から11世紀初頭まで北西インドを支配した、プラティーハーラ朝の時代に大きく繁栄を遂げたといわれています。
この時にラージャスターンの丘に堅固な城塞が築かれました。

ペルシアやイスラム帝国など強国からの侵略の危機にあったラージャスターンは、強靭な武力を身につけて高い地位を持った後、インドの広域を支配する巨大勢力の中心と成長しました。

7世紀に建造されたチットールガル城は、9世紀から長い間メーワール王国の首都として君臨した城です。
ムガル帝国のアクバル(在位1556年-1605年)がラージャスターン侵攻を試みますが、抵抗を貫きメーワール王国を建国したのがパッパ・ラワルです。

長く戦いの末この城は、皇帝アクバルに落され廃墟となりました。
チットールガル城が陥落した後の、1443~1458年にラーナー王よって建てられたメーワール王国の城砦クンバルガル城。
1周が10kmを超える城壁内は広く、宮殿以外にヒンドゥ教やジャイナ教寺院が現在も数多く残っています。
このメーワール王国だけはムガル帝国から独立を維持し、17世紀初めまで続きました。

マハラジャの栄華を偲ぶピンクシティ

サワーイー・マードープル県の都市サワーイー・マードープルに位置する、10世紀に建造のランタンボール城はデリースルターン朝と熾烈な戦いを繰り広げた場所としても知られています。

現在は堅固な城門がずっしりと立ちはだかり、その後にはエレファントゲートやガネーシャゲート、きつい登りの階段の後にまた門というどんな勢力と保った敵が押し寄せても突破することができない、まるでトリックを見ているような砦が続きます。
このような強固な城も1569年にムガル帝国のアクバル帝によって陥落します。
その後、城はアンベール王国に引き渡されてしまいました。

次のページでは『今も人が住む砂漠の真ん中に建つ城砦都市』を掲載!
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