こんなに美しい街なのに、民族を引き裂いた戦争が起きたとは…「モスタル旧市街の古橋地区」の歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボから南西70kmにある「モスタル旧市街」をご紹介します。

モスタル旧市街ってこんなところ

モスタル旧市街の住所・アクセスや営業時間など

名称 モスタル旧市街
住所 Mostar, Bosna i Hercegovina
営業時間・開場時間 24時間
利用料金や入場料 無料
参考サイト https://worldheritagesite.xyz/contents/stari-most/
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

モスタル旧市街のスポットページ

エキゾチックという言葉がぴったりの5番目の都市、モスタルってこんな町

モスタルは、クロアチアとセルビアに挟まれたボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボから南西70kmにある、中世にはオスマン帝国の国境として栄えた町です。
ここって本当にヨーロッパなの?と思わせるような、エキゾチックで美しい景色が広がっています。
ヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県の県都で最大の都市。
また、ボスニア・ヘルツェゴビナでは5番目に大きな都市です。
モルタルの名前の由来は街の象徴とされる古い橋スタリ・モストと古いトルコ風の家屋群から来ています。
この橋はモスタル旧市街のネレトヴァ川に架かる橋で、悲しい歴史を持つ橋です。
ノスタルジックな雰囲気の石畳の道を歩くと、カトリックの教会とイスラム教のモスクが建っています。







バルカン最強の国家となった中世ボスニア王国

10~12世紀にかけてボスニアの一部が、ブルガリア、セルビア、クロアチア、ハンガリー、ビザンツ帝国から交互に支配されました。
12世紀の後半にクリンという支配者がボスニア中部を統一し中世ボスニア王国を建国しました。
これまでここに住む人たちはセルビア人ともクロアチア人ともわからず暮らしていましたが、これにより自らをボスニア人という立場に置き両民族との違いを意識して生活をはじめました。
中世ボスニア王国は14世紀のコトロマニッチ(在位1322-1353年)の治世にフム地方(後のヘルツェヴィナ)をも支配下に置き、後のボスニアとヘルツェゴビナ統一の基礎を築きました。
この頃隣接するセルビア王国の衰退が始まり、事実上バルカン最強の国家となったのです。

オスマン支配下で都市化してゆくモスタルと有名な橋

その後はっきりした年代などは分かっていませんが、オスマン帝国の支配下にくだります。
このオスマン時代にモスタルは、居住地の都市化が始まり町の象徴とされる美しい石橋が造られました。

これが「スタリ・モスト」です。
この橋が造られたのは1557年。
スレイマン1世が当時あった木製の吊り橋を造り変えるよう命令したのが始まりです。
この橋の建設には約10年もの月日が費やされました。

次のページでは『モスタル最大の繁栄期』を掲載!
次のページを読む >>

関連記事を見る

歴史の記事を見る

敬虔なるキリシタン武将・明石全登、ドラマチックに登場した大坂の陣と謎の行方
苦節55年!?日本を代表する近代建築・国会議事堂は誰が建てた?
落ちぶれた本願寺を再興した救世主・蓮如が歩んだ道のりを徹底解説!
偉大すぎる父とできすぎた弟たちを持った毛利のプリンス・毛利隆元の苦悩
絶対敵にしたくない男No.1!「敵はとりあえず暗殺」の宇喜多直家、でも家臣は大事にした?
秀吉は本当に一夜で城を完成させたの?岐阜・墨俣城を訪ねてみた
出奔されてもコイツが必要!と伊達政宗に思わせたデキる親戚・伊達成実ってどんな人?
冬の立山連峰を越えた男・佐々成政、時代に翻弄された悲劇の最期
負け戦に敢えて挑む男のプライド。秀吉に刃向った武将・九戸政実の生き様
秀吉vs勝家!決戦の地・賤ヶ岳古戦場の歴史を辿る旅
小牧山城で近世城郭の始祖・織田信長の築城技術を学ぶ
公家趣味が彼を滅亡に追い込んだ?大内義隆を殺したのは、かつての愛人だった…!?