ヴェネツィア支配時代の趣が色濃く残る美しい古都、スロベニアの「ピラン」

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はスロベニアの「ピラン」をご紹介します。

スロベニアの「ピラン」ってこんなところ

image by iStockphoto

piranの住所・アクセスや営業時間など

名称 piran
住所 Piran, Slovenia
営業時間・開場時間 施設による
利用料金や入場料 施設による
参考サイト http://www.piran.si/
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

piranのスポットページ

スロベニアの風光明媚な観光地ピランの始まり

ピランはスロベニアの南西部のアドリア海に面した三角形の半島に位置する、一大観光地です。
かつて港町として栄えた名残を残し、町全体が静かでのんびりしています。
赤い屋根が特徴的でヴェネツィア建築と地中海の雰囲気が漂う町です。

この町の始まりはローマ時代以前に、イリュリア系のヒストリ族が住んでいたといわれています。
農耕や狩猟、漁業などを営んでいました。
中には海賊となるものもいて、ローマ人の交易を混乱させアドリナ海北部で恐れられた存在だったようです。

紀元前178年にピラン半島は、ローマ帝国の版図に組み込まれました。
ピランという名もローマのピラノンという町に由来しています。
ローマ帝国に陰りが見えてきた5世紀ごろになると、アヴァールやスラヴ人などが侵入するようになりました。







塩田と都市化の始まり

7世紀ごろになると、ビザンチン(東ローマ帝国)に支配され、強固な要塞が造られ始めます。
ここから都市化が始まりました。
788年にフランク人に占領された、スラヴ人がこの地域に住むようになります。
このピランの街の特産品の一つの塩。
ピランはピラミッド型の塩の結晶といわれる、幻の「塩花」が採れることでも有名です。
アドリア海に面するピランの塩田は8世紀ごろから作られ始めました。
その後952年には神聖ローマ帝国に支配されます。
クロアチアと南側が国境で接し、アドリア海を挟んだ対岸がイタリアです。
1334年にルネサンス様式で建てられた聖ユーリ教会からイタリア方面を見ると、晴れた日にはイタリアの街並みを望めます。
この町は地形上、イタリアの影響を強く受けていることがよくわかります。
9世紀以降は、独立派しているもののヴェネツィア共和国の影響を強く受けていました。

ヴェネツィア支配時代の趣が色濃く残る、ピラン

1209年ごろの一時期はイストリアの辺境伯パトリアーシに支配されます。
ここまで独立性を維持していましたが、1274年にヴェネツィア共和国の法を受け入れ、1283年にとうとう支配下にくだりました。
この支配は1797年の英雄ナポレオンに降伏するまで続きます。
次のページでは『スロベニア海域で起こった海戦』を掲載!
次のページを読む >>

関連記事を見る

歴史の記事を見る

敬虔なるキリシタン武将・明石全登、ドラマチックに登場した大坂の陣と謎の行方
苦節55年!?日本を代表する近代建築・国会議事堂は誰が建てた?
落ちぶれた本願寺を再興した救世主・蓮如が歩んだ道のりを徹底解説!
偉大すぎる父とできすぎた弟たちを持った毛利のプリンス・毛利隆元の苦悩
絶対敵にしたくない男No.1!「敵はとりあえず暗殺」の宇喜多直家、でも家臣は大事にした?
秀吉は本当に一夜で城を完成させたの?岐阜・墨俣城を訪ねてみた
出奔されてもコイツが必要!と伊達政宗に思わせたデキる親戚・伊達成実ってどんな人?
冬の立山連峰を越えた男・佐々成政、時代に翻弄された悲劇の最期
負け戦に敢えて挑む男のプライド。秀吉に刃向った武将・九戸政実の生き様
秀吉vs勝家!決戦の地・賤ヶ岳古戦場の歴史を辿る旅
小牧山城で近世城郭の始祖・織田信長の築城技術を学ぶ
公家趣味が彼を滅亡に追い込んだ?大内義隆を殺したのは、かつての愛人だった…!?